2016参院選とイギリスEU離脱から時代を読む

今回の参院選では、投票者数を上げるために、18歳以上の若者たちにも選挙権が与えられた。投票前はそれが希望ある話のように捉えられていたが、結果として、まだそこまでの社会的意識が育っていない者たちに何を持って投票意欲を起こさせたのかと言ったら、損得勘定だ。

人間は損得勘定を持つと、意欲が生まれる。本来、意欲というのは、生命力から生まれてこなければならない。それは損得勘定とは違い、自らがこの世界に生まれてきて役割を果たすことの意味が見つかった時に湧き出してくるものだ。
最終的には、自らの生命を完全燃焼させ魂の成長が成された時に、本来の生命としての目的が達成されたかどうかという意味での損得勘定はあるが、生きている間の学びの材料である一つひとつの出来事に囚われて損得勘定をしているようなことでは、人間の創る社会が本来の目的を現せないのは当たり前のことだ。
しかし、欲望の漬物のようになってしまっている今の社会では、損得勘定ですべてが進んでいくのも仕方がない。そうすると、損得勘定が人々の意識の元にあり、その上に社会ができるという非常に貧しい世界ができる。

これは極めて重要なところを突いているのだが、さて、損得勘定が巨大に膨らんでしまった今の世の中で、人々はどこまでその損得勘定の魔の手から離れて目覚めることができるだろうか。現代の人々は、ものの本質を観ようとするのではなく、損得勘定だけで結論を出そうとしている。国民は経済成長を支持したと言うが、そもそも経済とは何であるのかという実態がわかっていない。支持をされる側も、これを言ったら支持されるだろうということが当たっただけのことで、やはり実態がわかっていない。

イギリスがEU離脱を宣言した理由の一つに、雇用の問題がある。豊かな国イギリスにEUという国の垣根を外した制度が入ったことで、イギリスに雇用を求めて貧しい国々の人々が流入し、それによって移民と仕事の内容がバッティングする一部の人たちが職業を奪われたと訴えている。それに対して、EUを離脱すれば5億人の市場を失うことになり、世界の金融センターとしてのイギリスの立場を失うことになると訴えている人たちがいる。
そこで多数決を取った結果、移民によって職を奪われていると主張する労働者階級が人数として勝り、そちらの意見が採択された。どちらの側も、自らの利益のための主張の延長線上にある。そうやって主張していることが自らの心の貧しさを表していることに気付き、振り上げた拳を下ろすということがない。
それでも形だけは民主主義だと言って、多数決の理論で自らの主張に支持を集めようとする。では民主主義が、民衆に正しい世の中をもたらすかというと、そうではないことはこれまでの結果を観れば明らかだ。それは今回の日本の参議院選挙でも、イギリスのEU離脱を問う国民投票でも、同じことが言える。損得勘定がベースの民主主義によって得たものが、後にしこりを生み、損得勘定の議論の上にまた議論が積み重なっていくということを延々と繰り返している。

EUの前身であるECは、第二次世界大戦のトラウマから始まったのだが、それも一種の損得勘定だ。本来トラウマではなく、学びから始めるべきだった。なぜあのようなことが起きたのかということを冷静に分析する学びから始めて、新しい時代の見本となるべきだったのに、「もうあんな体験は嫌だ」というトラウマ的反応からある意味パニックのようになって始まっているため、発展的ではない。人間は常に冷静な判断ができる意識状態にいなければならないが、損得勘定がひどくなるとパニック状態になり、正常な思考ができなくなる。その上に正義だの悪だのをいくら語っても、秩序ある世界を築くことはできないだろう。
そこをもう一度立ち返り、発展的にEUの在り方を考え直さない限り、イギリスのようにエゴの延長線上に自国の利益を主張してEUを離れる国が出る。国どころか、イギリス国民一人ひとりもそれぞれの立場から自らの損得を主張し、てんでバラバラの状態になっている。イギリス国内もバラバラ、EUもバラバラ、世界もバラバラの状態だ。
そこで日本は、深い洞察のもとに日本人はどうしていくかを考えるべきところに賢さがあると思うのだが、日本の国民もまた、世界の混乱が株や為替に影響していかに個人が損をするか得をするかということばかりに興味があり、日本全体のことすら考えていない。マスコミも、そういったことのみを国民に意識させるような情報ばかりを取り上げている。
中には、国民投票などをして国民に結論をゆだねたら、感情的な国民がよく考えないで決断してしまうのだから、大事なことは知識人に任せて国民はそれについていけばいいのだと言う人もいた。それでは民主主義の後退だろう。そうではない。一人ひとりが愚かだからこそ、一人ひとりが目覚めて国のことも地球全体のことも考えていく。その大調和への気付きこそが、次の時代を生む。そう捉えれば、この世界の混乱は次の地球をどうしていくかということのメッセージと取れる。

今、およそ250年前のイギリス産業革命から始まった物質至上主義の価値観に賞味期限が来て、いよいよ解体が始まった。冥王星が太陽を1周する248年のサイクルを経て、再びイギリスから、その変革の波が始まった。時代を宇宙視点で観れば、実に興味深い、有意義な時代を我々は生きている。
だからこそ我々は、この非常に面白い有意義な立場にいることを、自覚して生きていくべきなのだ。自覚とは、自らが目覚めると書く。目覚めるとは、新しいものに目覚めるのではなく、絶対に存在し揺るぎないものを、常に忘れずに生きていくということである。

 

Source of photo: www.youtube.com/watch?v=QsS4PDAgn9w

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7月16(土)〜18日(月/祝)
第10回大人サミット
「地球会議 in 木の花ファミリー」開催!

時代が大きな転換期を迎えている今、年齢、職業、国籍、宗教、ありとあらゆる枠を超えて、地球の未来を真剣に想う真の「大人」たちが集い、語らい、新たな時代の幕開けを発信する「第10回大人サミット」が木の花ファミリーにて開催されます。より良い未来を築こうとする意欲さえあれば、どなたでも参加OK!ブログで語られていることを現実の世界で実践し、人類史上に新たな1ページを刻むかけがえのない3日間を、ぜひ共に過ごしてみませんか。

第9回大人サミットより
第9回大人サミットより

*詳しくはこちら!
 → 第10回大人サミット開催のご案内

日帰り参加や部分参加も受け付けています。
ご関心をお持ちの方は、どうぞお気軽にご連絡ください!

 


イスラム教徒は何を伝えようとしている?~ダッカ人質テロ事件から時代を読む

バングラデシュで、日本人7人を含む28人が死亡するテロが起きた。マスコミでは多くの報道がなされていたが、この出来事の背景を観ようとする視点がどこにもない。ただ「テロは悪い」ということばかりがニュースから流れてくる。

バングラデシュの高学歴で裕福な若者たちが、なぜテロを起こすに至ったのか。
バングラデシュは新興国として今、著しく産業が発展していく過程にあり、これから中国に代わる発展途上国の代表的な国として、希望に燃えているはずだ。そこでこのようなテロが起きているということは、今のモノカネ重視の価値観に矛盾を感じ、キリスト教国に代表されるような現代社会の価値観に異議を唱えるイスラム教徒の存在があるとも捉えられる。
実行犯は、わざわざシリアやイラクへ行ってISに参加したのではなく、バングラデシュ国内の組織からの支援で犯行に及んだと言う。若者たちが自国にいながらインターネットで刺激を受けてテロリストになっていく事例は、アメリカやフランスでも起きている。それはなぜかと言うと、彼らはISに共鳴しているというよりも、自国の体制に不満があるのだ。

バングラデシュは今、目覚ましい経済発展を遂げているが、その中には必ず近代化していく社会にひずみがあり、貧富の格差も生まれている。若い世代の中には、そういったことを許さない純粋さがある。「黙って働いて金を稼ぎ、豊かに生きればいいのだ」という発想に対し、命をかけて金ではないのだということを訴えているとしたら、この金ばかりの世の中がおかしいのだという反感を持っている人間が今の世の中にはいるということだ。
ところが日本人は、なぜ日本がこんなに貢献しているのにテロリストの犠牲になって死ななければいけないのかという視点一辺倒になっている。ではその貢献とは何かというと、JICAの支援の下に企業に携わる人々がプロジェクトを組み、ダッカの交通網を整備して、経済を発展させることが目的だった。その背景にあるのは、個人は個人の、企業は企業の、国家は国家の利益を求める心だ。中には途上国を支援したいという純粋な想いもあるが、そうやって途上国を支援した結果どうなるのかと言ったら、今のアメリカやヨーロッパや日本のような国がもう一つ増えるということだ。
新しい世代の人たちは、もうそれでは駄目なのだということを理屈ではなく感じている。そういう人間があのような行動を起こしているということを、考えていかなければいけない。それは時代を感じるということだ。

彼らも、ISも、これまでの世界の矛盾を表現している。もしくはこれまでの時代の終焉を示していると捉えられる。そのように、時代の流れを感じ取りながら、ものごとをバランス良く平等に観ていくことが必要だ。
昔は、今よりもまだ双方を見るということをしていたはずだが、今は極端にテロだけが悪になっている。確かにテロを引き起こしている人々は問題だ。しかし逆に言えば、この社会という器の中でテロが起きているのだから、自分たちが構成している社会がそれを創り出しているのであり、誰もが自分のせいであるとして振り返らなければならない。そういった世界観が、現代社会に欠けている。テロを起こす側を一方的に悪として、自分たちを正義の側に置いている多くの人間たちの体質が問題なのであり、それが現代社会の様々な歪みを生み出しているのだが、そのことに気付いている人はほとんどいない。
だからこそ、バランスよく内外を観て、特に自らの内を先に観るということをしなければならない。すべてを一度リセットし、内外をなくして、人間とは何ぞやということを探求する必要がある。そこにこそ、次の時代への希望がある。

イスラム教徒の正義や真剣さは、どこから来るのだろうか。

現代のイスラム教徒は、キリスト教徒などに比べ、どちらかというと虐げられる立場にある。しかし、最初から差別があったわけではない。差別を受けているということは、結果としてそうなっているということであり、そこに至るようなそもそもの彼らの在り方があったからそうなっている。彼らが命までかけてやろうとしている、他と相いれない部分があるということだ。

何かを正しいとして固定してしまうと、それと相いれないものとの間で対立が起きる。もしも地球上に一つの価値観しかなく、すべての人が人間はこうあるべきだという共通認識の元に生きていたら、そこにはそれしか価値観がないのだから、正しいも正しくないもなくなる。ところが、現実には価値観はいくつもある。
しかし一方でまた、人間は実に単細胞であるとも言える。グローバル化だと言って、お金でほとんどのことが解決されるような一辺倒の価値観に世界中が染まってしまった。例えばライオンはアフリカだけに生息しているが、その中でも土地によってたてがみが多いものもいれば、少ないものもいる。雄が協力して狩りをするものもいれば、しないものもいる。その土地ごとの自然に合わせてそうなっている。それは天と共に生きているということだ。それに対して人間は、世界中がモノやカネを優先する価値観で単一化され、自然の中で大らかに暮らしていた遊牧民や先住民族たちもお金を欲しがるようになった。
その中で、イスラムの人々が命をかけてまで訴えようとしていることの原動力は何なのか。イスラム教にはジハードという概念がある。そもそも、生きるということの意味が違うのではないか。

彼らは信仰を一番にして生きている。物理的なものを最優先にするのではなく、生きる上での信条や意味を大切にしようとする。だから死をも覚悟している。彼らはそういったことに共鳴する魂たちであり、それが基準でスタートした者たちにとっては、それが当たり前なのだろう。
例えば、グチグチと被害妄想ばかり言っている人がいるとしよう。一般的な健康を基準にして見たら、そんなに愚痴ばかり言うのは間違っているよ、ということになる。しかし、グチグチ星や被害妄想星に住んでいる人にとってはそれが基準であり、それをベースにして生きているのだから、その通りに生きるのがその人らしいということになり、当たり前のことである。それを別の価値基準から見て「あなたは間違っている」とは言えないものだ。

今の社会に対して、イスラム教徒たちが、彼ら流の価値観で何かを訴えている。一口にイスラム教と言ってもいろいろあり、さほど過激ではない人々は、過激とされる人々と同じような思想は持ってはいても、それでは世界全体とうまくやっていけないからほどほどのところで妥協をしているところがある。妥協しない人たちは過激思想と言われ、彼らは自らの信条に則ってとことん社会をイスラム化しようとした。そこで、彼らの思想と相いれない、自分たちの価値観こそが絶対だと考えている者たちがいて、互いに相手が間違っているとして対立が生まれた。
そこには、どちらが社会的にメジャーなのかという違いがあるだけだ。イスラム教が世界の主流になったら、今のモノやカネや酒などに溺れている人々は、間違っていることになる。基準がどこにあるかによって、排除される側と排除する側が変わるだけだ。
例えば、キム・ジョンウンを世界の基準にし、外からの情報がなくなれば、それが当たり前の世界になる。違う秩序があるからあれが異質なものとされるだけで、それしかなくなればそれが秩序になる。

そういったことをすべて超えて、もう一度価値基準を組み換えられないだろうかと考えた時に、何を基準として取り入れるかと言ったら、自然の成り立ちだが、今の自然はずい分人間に汚染されておかしくなってしまったので、やはり宇宙の法則に沿うということだ。星と星との関係やその成り立ちを、もう一度地上に降ろす。
その昔、この世界には地球という意識はなかった。我が星という意識はなく、宇宙そのものだった。ところが、人類の歴史の中で「所有」という意識が発達してくると、「自分の星だ」という見方をするようになり、天動説のような世界観が生まれた。そのうちに、人間は世界を自らの都合のいいように捉えるようになり、自然も何も、すべて人間の都合のいいようになることが便利で豊かであるとされるようになっていった。それをもう一度本来のところへ立ち還らせなければ、今の人類は生きることの意味すら見失ったままになる。

今の日本では、介護殺人が社会現象化している。見えないところでは昔からあったのかもしれないが、今ほどではなかっただろう。少し前まではうつ病や自殺者やニート、引きこもりがいて当たり前の社会だったが、今度は介護殺人が社会現象化するという異常な状態になっている。
日常生活の中で、他者と円滑なコミュニケーションが取れて自己責任で生きている状態を正常とするならば、他者とのコミュニケーションが円滑ではない、もしくは円滑でないことを認識できていない状態というのがある。それは精神的に異常をきたしている場合もあれば、肉体的に異常をきたして他者に委ねなければいけない場合もあり、そういった状態の人を補助するのが介護だ。
本来、そのような状態では自然界では生きていけない。しかし人間は情が強く、補助をするようになった。ところが最初は愛情を持ってやっていても、コミュニケーションを取る意味がだんだん感じられなくなってくると、ただ義務的にやっているだけになり、そのうちに強制的にやらなければならない状態になって、苦痛になっていく。そして思考が極端に狭くなり、苦痛を排除しようとして突発的な行動に出たのが介護殺人だ。
社会には、対処療法的ではあるが、介護施設などの社会福祉が昔よりは遥かに充実している。そういった何も生産しない産業が発展し、それが経済効果となって社会がまわっている。しかし、社会の義務や豊かさの表れとしての福祉制度も、結局はそういったものを必要とする人々の面倒を見切れていないのが現状だ。

現代は、生きるということの意味がとても表面的になっており、生きることがすべてお金のためになっている。その結果、生きることの本質である生命の基軸が狂っているのだが、まだ誰もそれに気付いていない。人々はもっぱらお金があれば余裕ができて心が楽になるという幻想に囚われているが、今の世の中はどうしても豊かな人と貧しい人の差ができるようになっており、その矛盾のしわ寄せが必ず人間の性質のひずみとなって、社会に還元される。人間が心を病むと体の弱い部分に症状が現れるように、社会が病んでいることの症状が、弱いところに現れてくる。それは社会全体が病にかかっているということだ。
死とは、人生の終末のもっとも肝心なところだ。そこに介護殺人のような混乱が起きているということは、生きることそのものに混乱が起きている。

そこで、木の花で生きる年よりたちのことを考える。生きることに対する充実感という意味では、木の花で生きる年寄りたちは毎日やることがあって、それぞれにふさわしい役割を与えられその人らしく生き生きと過ごしており、年寄りという意識がない。そして個人的な欲に執着していない。先日ここを訪れたゲストが、「なぜここの人たちはこんなに穏やかな空気で生きているのか」と聞いてきた。彼は会社の経営者であり、毎日社員と仕事で顔を合わせているが、そこに見るチームワークや人々の人間関係には、そういった木の花のような空気は異質なものに感じられたようだ。そこで僕は「それはそうですよ。給料のために働いていませんから。だから、あなたの会社の社員にも、給料を払わなければいいんですよ」と答えた。
木の花の年寄りも、将来具合が悪くなったら若い人たちのサポートを受けるかもしれない。しかし、役割を与えられて生き甲斐を持って生きている人が、介護が必要な状態になるだろうかと考えると、それは先へ行って確認することだが、少なくともボケるような兆候は木の花のシルバーたちには一切見られない。そういった姿勢で毎日が過ごせる人々の人生に、介護の必要が極めて少ないことが当たり前に感じられる。そう考えた時に、僕は改めてこの生活の重要性を確信した。この生活にこそ、その隅々にまで新たな時代を迎えるための解決策がちりばめられていると再確認した。

現代の人々が平和だと認識し、守ろうとしているものは、歪んでいる。今の世の中を見て、それでは平和とは言えないだろう。ではいつ平和だったのかと考えると、人類の歴史上、平和な時などあっただろうか。
もしもあったとしたら、今の文明が始まる以前の、もっと原始的で自然のままに生きていた頃にはあったかもしれない。かもしれないと言うのは、価値基準があまりにも違い過ぎて想像できないのと、資料が十分ではないので、あくまでも仮定の話だということだ。そしてそれから時が進み、時代は対立と混乱の方向へと向かった。それはまさしく闇の時代へまっしぐらだったのだ。

イスラム教徒がいかに熱心に信仰をしていても、ある特定の境地を絶対としてしまうと、結局は対立の原因になる。何かを特定すれば、それとは別の何かを特定したものと相いれることができず、対立するのだ。
そこで、木の花ファミリーはイスラム教徒と同じように過激思想を持っているかというと、そうではない。ここでやっていることは、そういった特定のものから離れて、囚われの位置から自らを解放する宇宙視点を持ちましょうということだ。それはその境地に到達した者にとっては奇抜でも何でもなく、当たり前のことになる。それは、遥か昔はみんなそうだったということであり、気付けば今現在この瞬間がそうなのだから。

そこにいつ人類は気付くのだろうか。時代はすでに、社会の行き詰まりをもって次の時代へといざなっている。今の世の中、政治も経済も宗教も医療も教育も、矛盾のないところはない。
戦時中、マスコミはプロパガンダに利用されていた。今は、例えば日本のマスコミ関係者は、何ら罪の意識を感じることなく、自分たちは自由に報道をしていると思っているかもしれない。ところが実は極めて偏った、世界観の狭い報道をしている。そういったマスコミの報道姿勢の背景に、お金がすべての価値観がある。視聴率という数字の元に、お金に翻弄されている人々が支持する情報だけを報道することを繰り返すマスコミによって、世界が動いている。それはある意味、悪魔的現代社会の主役だ。マスコミに登場する人々は知識人であり、優れた人々であるという印象の上に、そういった社会的マインドコントロールが密かに進められているのが現状である。

今の過激思想として捉えられているイスラム教徒たちの訴えている世界は、お金ではない世界だ。彼らは命をかけている。しかし、お金ではない価値観であることすら、結局は対立の原因となっている。お金が基準となって混乱している世の中を間違っていると言って、お金よりももっと大事なものがあるということを命をかけてまでも訴えながら、さらに世の中を混乱させている。
それはある意味天のメッセージではあるが、ではあのやり方でこの世界に秩序をもたらし、新たな時代が来るだろうかと考えると、仮にそうなったとして、それが正しいと世界の価値観が統一されれば、それはそれでそのような世界が現れてくるのだろう。しかし現実には、これほど地球全体がモノカネ優先の価値観に汚染され、そういったマインドコントロールにはまっている人々が膨大に存在する現代の社会を、すべてイスラムの価値観に染めようとすれば、そこには大変な破壊や混乱、痛みが発生することになる。だから、そうはならないだろう。

やはり、そういった特定の価値基準を超えた、新しい秩序が必要だ。それが自然の姿であり、宇宙視点だ。我々は宇宙人であるという認識を持ち、外側の視点から、自らの立ち位置を捉え直す必要がある。それは、自らの外にある大きな価値基準と、日常の自分の中にある個人の意識とが一致しているということだ。
これは僕の考えではなく、時代が人類をそのようにいざなっている。いつの時代にも、時代の転換期には新たな価値観のメッセンジャーが現れる。それは古い価値観を破壊するためのメッセンジャーであったり、新たな秩序を示すためのメッセンジャーであったり様々だが、今はまさにその転換期に来ていることの証として、そういった役割を果たすためのメッセージを持った人々が現れてきている。

木の花ファミリーは22年前に、この生き方の目的が何であるのかわからないまま、スタートした。世の中のコミュニティの多くは、こういう場所を創りたいという自らの理想が先にあり、その願望を叶えるために立ち上がった。しかし、我々には願望も何もなかった。ただその現場を生き、未熟なら失敗をして、その時々に出会うことに対処しながら変化してきた。それは確実に体験を活かし、確信に変換する歩みだった。
自らの願望を叶えようとして進めば、それが叶った分だけさらに自らの願望に囚われていくことになる。そして自分のやっていることが正しいと思うようになり、他者と共に世界を築いていくことができず、結果的にそういった人々は、調和的な世界を創ることができない。
他者と共に築いていくということを実際にやったことのない人間は、自らの姿勢が具体的にどんな現実をもたらすかということを体験していないため、頭の中だけでそれを考え、それこそ単なる創作のようなバーチャルな世界で理想を追い求め、実体の伴わないことを語っていくことになる。しかし、現代社会のように言っていることとやっていることのギャップが多くても成り立つ社会構造の中では、バーチャルなことを語っていても評価される。そうして評価されることによって自らが正しいと思い込んでいることが多いのだが、そういった人々こそ、多くの人と共に生きる現場に実際に立ち、他者との関わりの中で自らの性質がどんなことを引き起こし、結果、どのようなことと対面するのかを体験し、自身の人間性の実態を思い知る必要がある。そうでなければ、何も現実にはやらないまま、表面的な支持を得て自らが正しいと思い続けることになり、そのような人々の姿勢こそが、今の行き詰った社会を創ってきたのだ。

生きるということを、人間の側からのご都合主義で実現していくと、それは人工の世界のオンパレードになる。生きるとは、宇宙の法のもとに生かされているという現実を理解することが、本来の順序だ。
実は人間には、宇宙の構造や、宇宙そのものとしての自分自身の在り方がすべて、自らの内に情報として眠っている。我々がエゴという囚われを手放し、大いなる宇宙の法のもとに自らの意識を解き放った時、これまでの物理的発展を支えてきた二次元的発想の時代から、いよいよ三次元的時代への進化が始まる。
それは、これまでのような善悪や損得、我良しの発想で捉えていては、とても解釈できない世界だ。我々はすでに三次元的脳を持っているが、発想が二次元的であり、二元的損得勘定に囚われているため、脳の三次元的解析能力を活かすことができていない。もしくは、そこの部分が退化している。そこで、その二元的損得勘定を離れ、自我を超えた発想ができるようになると、極めて奇抜な発想が生まれてくるようになり、地球上にいながらにして宇宙の実体が瞬時に理解できるようになる。
その進化を前にして、人類のこれまでの二元的発想が、すべての面において行き詰まりを見せていることは、現代社会に起きている様々なことを冷静に分析すれば明快なのである。従って、人類の内面の精神構造にメスを入れ、その発想の転換をすることが、現代の行き詰まりの突破口を開くことになるのだ。

どの切り口からも全てひっくり返らなければいけない時が来ている。現代社会につながる文明的価値観がすべてひっくり返る時が来ている。そのためには、まず一番に、自分自身を例外としてはいけない。誰もが、自分自身を例外としないで取り組んでいく必要がある。
これは明らかに時代の転換点だ。今までの価値観が終末を迎えている。実は宇宙的には完全にそれを超えて、次の時代に入っているのだが、地上はまだ闇のピークを越えたばかりで、徐々にそれが明らかになって来ている。
イスラムの問題からも、イギリスのEU離脱からも、アメリカ大統領選からも、世界中で暴き出されている政治的社会的不正からも、そして介護殺人からも、現代社会の人類の営みのすべてから、時代が我々を新たなステージへといざなおうとしていることが観える。

 

Source of photo: jp.sputniknews.com/

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7月16(土)〜18日(月/祝)
第10回大人サミット
「地球会議 in 木の花ファミリー」開催!

時代が大きな転換期を迎えている今、年齢、職業、国籍、宗教、ありとあらゆる枠を超えて、地球の未来を真剣に想う真の「大人」たちが集い、語らい、新たな時代の幕開けを発信する「第10回大人サミット」が木の花ファミリーにて開催されます。より良い未来を築こうとする意欲さえあれば、どなたでも参加OK!ブログで語られていることを現実の世界で実践し、人類史上に新たな1ページを刻むかけがえのない3日間を、ぜひ共に過ごしてみませんか。

第9回大人サミットより
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真実を発信していく

ここ最近養蜂作業が忙しく、生活のリズムが狂っていた。そして今日、養蜂の作業が一段落したので、狂ったリズムを整えるために休んでいたら、夢を見ているとも起きているとも言えないような状態の中で、ある意識が浮かんできた。それは「トキが来た」ということだ。

今、インターネット上に、真実を歪めて木の花ファミリーをバッシングしているサイトが横行している。ものすごいエネルギーを使ってここを貶め、封印しようとする力が働いていることに対して、そのエネルギーを逆に、真実を発信していくためのエネルギーに転化できると気付いた。
多くの人が興味を持っているからこそ、ああいったサイトを見る。そこで、彼らが見ているバッシングサイトの情報に対して、その情報の出所の元にある心がどのようなものであり、そこに表現されている現場の実態は実際にはどうだったのかということを提示してあげれば、彼らはバッシングサイトを見ていたのと同じエネルギーで、真実は何なのかということを感じ取ることになる。それは、バッシングサイトが描いて訴えようとしているイメージと実際は違うということや、それを見る自分自身の視点の偏りに気付くチャンスになる。
バッシングが始まって3年目となり、ある程度それが社会に浸透した今だからこそ、トキが来て、そこに表現されたエネルギーは一気に逆転する。うたた寝から目を覚ました僕は、養蜂の一段落と、バッシングが逆転へ転じるトキが同じタイミングで来たことを感じた。

そのタイミングを感じた時に、台所に8個のキジの卵が置いてあるのを見た。それは日中に草刈りをしていた畑隊が見つけて持ち帰って来たもので、ステンレスのボールに入れて流し台の上に置いてあった。巣の周りの草を刈るだけでも、人間の匂いが付いて親鳥は寄り付かなくなる。そこで畑隊が持ち帰って来たのだが、僕はそれを見た瞬間に、そこから生気が湧き出ているのを感じた。あんなにも生きようとするエネルギーがあふれ出しているものを、ステンレスのボールに入れて置いておくということがあるだろうか。
懐中電灯で卵を透かして見ると、幸いなことにまだ分裂を始めていなかった。今から温めてやればまだ間に合う。これは食べるものではなく、命として孵してやらなければいけないものだ。そういうことを感じられることが大切なのだ。

かつて僕はまりちゃんとコンビを組み、合鴨の卵を孵してきた。温度は37.8℃、湿度は50~70%で、1日に5~6回転卵をする。孵化させるのにどれほどきめ細やかな配慮が必要か。それは真剣に向き合わなければできない。
しかしそれは、神経をすり減らすようなこととは違う。コンピューターがやるのではなく人間がやるのだから、命が育っていくのを感じながら、楽しんで、気楽にできるものだ。自然界の親鳥も、トイレに行ったりごはんを食べたりしながら、それでもきちんと命と対話しているから卵を孵化させる。そういうファジーな能力が、人間にはある。感じ取る能力があるのだ。
まりちゃんと卵を孵してきたように、かつて僕はやすえどんとコンビを組んで糀を仕込み、ひろみちゃんとコンビを組んで木の花菌を作り、かずこちゃんと組んで雛鳥を育てた。そうやって人間の持つ能力を研ぎ澄ませてきた歴史が、木の花にはある。それはとても神聖なことであり、そういう場を汚してはならない。

今、僕ときょうこちゃんは、新たなプロジェクトに取り組んでいる。それは、新しいきょうこちゃんをつくること。僕は彼女にこう伝えた。「それはきょうこを壊すこと。自分を壊すことだぞ」と。自分を壊さなければ、奥に眠っているものは出てこない。
これまでのきょうこちゃんは自分のことばかり考えて生きてきて、その姿勢の結果ガンになった。彼女は命がかかっている。それは自分がつくってきたことであり、それをつくった自分自身を壊さなければ、命は取り戻せない。とても真剣なことだが、人間はその段階へ行く時が来たのだと僕は感じている。
このプロジェクトが始まって、最初は僕がきょうこちゃんにヒーリングをしていた。きょうこちゃんは毎日まじめにやって来るが、僕はだんだんきょうこちゃんにヒーリングをする気が起きなくなった。そうすると、逆にきょうこちゃんに、僕に対して何かしたいという気持ちが湧いてきた。きょうこちゃんが僕に癒しを提供することで、きょうこちゃんが癒されている。
僕は最初自分がやってあげるつもりでいたのにだんだんやる気が起きなくなって、この意識の変化は何だろうと思っていたが、そこで答えが出た。そうだ、人のためになるという心をきょうこちゃんに目覚めさせるということだ、と。自分のことばかり考えてガンを作った者が、人のために生きたら、ガンは消える。(「癌」は、品物を山のように抱えてなる欲深な病気と書く。)
何日か続けているうちに、お腹にあったしこりがやわらかくなって、確認できなくなってきた。病院での検査結果がどう出るかはわからないが、今、きょうこちゃんのお腹の中から、悪いものを発している波動を感じられなくなってきた。

僕がきょうこちゃんにやっていることは、単なる病気治しではない。人間の能力を引き出す実践をやっている。それはキジを孵すことと同じだ。
我々がやっていることは、一人ひとりの人格を探求することも、個人の道を見極めることであると同時に、21世紀の人類の歩みにとって重要なことだと言える。それは、一人ひとりの意識が現状の地球の混乱の原因になっていることに気付き、その責任をとるという意味で、個人は自らが地球世界にもたらしている矛盾を一人分解消するべきだ。それを、国や地域のリーダーたちの責任にしている場合ではない。なぜなら、そういった立場の人々を選んでいるのも、自分自身なのだから。そのように、一人ひとりがこの世界に対する自覚を持つことが、次なる新たな時代へのステップとなる。
これからは、我々人間の奥にあってまだ我々自身も気付いていない、人間がこの世界に生み出された目的に目覚めることにより、これまで眠っていた能力が開花していく。それは今、田畑で行われている栽培法の変化(詳しくは木の花ファミリー通信「農業革命」をご覧ください)や、新たなプロジェクトが次々と立ち上がっていることともつながっている。同時に、世の中の人々がここの真実をわからずにいる不幸を解き明かすトキが来ている。この存在を理解できないことは21世紀の損失である。これは本当に21世紀の人類が進むべき方向性であり、時代が生み出した宝だ。

我々が生きていることに対して、自らが理解をしていることはごく僅かであり、生きているということに対し我々は無力である。真実は、存在するとは与えられていることであり、生かされていることである。現代人は、自らの思考の延長線上に生きようとしているがために、この世界から与えられていることを受け取る能力(現代人は脳の10%しか使っておらず、残りの90%は休眠状態にある)を退化させている。その現実を理解し、その状態に自らを貶めている自身の中にある性質と向き合うことにより、眠っている能力を使いだすことができる。
ところが、文明を発展させていく過程で人間の自我が優先するようになり、人々は自らの自我が生み出す欲求に翻弄され、その欲求を満たすことのみに奔走してきた。本来人間の能力とははかりしれないものであるが、自我の欲求を満たすことに囚われているがゆえに、自我により認識されている能力の奥にある、潜在的な力を使うということを怠っている状態だ。それは、今自分が起動させている以上のものはないと思っているからだとも言える。だから自らの枠の中でしかものを考えようとしない。
その場合、自らの枠を壊す作業をしなければいけないが、囚われている人間はその勇気が持てるかどうかだ。囚われという枠を壊せば、その奥にあるものが出てくる。それは思考回路だけでなく、その奥に秘められた潜在能力が出てくる。木の花の中にも、一生懸命やっていてもなかなか流れを読み切ることができない者たちがいる。そこで彼らは僕に「どうしたらいいでしょう」と聞いてくるのだが、そんなことを人に聞いてどうするのか。思い切り悩んで、自らの内にあるクセにまみれた思考回路を壊すところまでいかなければ、その奥にある潜在能力を引き出すことはできない。

一生懸命仕事をすれば、物理的には役に立つ。しかし役には立っても価値は付かない。価値がついて初めて、人は本当に役に立つことができる。それは、今までにないものになるということだ。
これまでは、一生懸命だけでもよかった。しかし、一生懸命に見当違いのエネルギーを使っているようでは、この世界に害がまき散らされることになる。それを、今の時代の現状が表している。そこでこれからは、眠っているものを掘り起こすということをやっていく。我々は起きていてこの世界を認識していると思っているが、その世界で目覚めるということは、実はこの世界が眠っているということだ。その眠っているものを起こすには、自らを壊す必要がある。

これから、人間がこの世界に存在する本当の意味を開花させる時が来る。ここは、それが世の中に先駆けてできる所だ。しかし毎日既製品のような仕事をこなしているだけでは、新しい能力は出てこない。物理的に仕事をこなせているから自分はできていると思っていると、自分を足りない者だと自覚して真剣に向き合い、その奥にあるものを引き出そうとする姿勢にはならない。
日頃はボケていても、ポイントのところはピッと感じられる人間になることが大事だ。ボケているから、キジの卵をステンレスのボールへ入れ、平気で台所に置いておいたりする。それではまるで食材だ。しかし卵からは「食材じゃないぞ!」という生気があふれていた。原始的な人々や食べることを優先する人間はためらうことなく食べるかもしれないが、意識レベルが高くなった人間は、やっていいことと悪いことを、そのものごとに出会った時に瞬時に感じ取れるものだ。この卵は食べて命を終わらせるものではなく、循環を止めるものでもない。自然から奪ったものだから、命として孵るかどうかはわからないが、少なくともその挑戦をしてあげることは、卵にとっても本望だろうと思う。食べられるために野に生みつけられていたわけではないのだ。
そういったことが、直観で感受できる者になる。それは本来当たり前のことで、人間が自然と共にあった時代にはあり続けたものだ。現代人はそれを忘れている。

そして今、我々に求められているのは、その次の段階だ。発信するのは、木の花というのはいったい何もので、何を目指しているのか。
今の世の中の多くの人たちは、それが理解できない。自らの枠の中では解釈できないものを、自らの枠の中でイメージし、創り上げ、それをバッシングサイトで表現している。しかしそれはここの実態ではなく、その人自身の中にある世界だ。

何か現象に出会うということは、自分自身を知ることであり、自分との出会いだということが、人間はわかっていない。出会うとは、自分という現実に出会うこと。自分がない人は自由自在に変化していく。しかしいつまでも古い自分がとれないと、痛い目をして学ぶことになる。ひどいのは、痛い目をしてもわからずに同じことを繰り返す。それが今、人類に問われている。

今、僕の中にはとても重要なことが湧き出してきている。

近ごろ、皆神山が僕の中に浮かんでくる。今年3月、皆神山で特別な生き方を受託していることを再確認したが、その後しばらく日常生活をやっていた。しかし、その生き方をここに表現する役割がある。
これは、人類に目覚めを与える話だ。ネット上の批判のような汚れをかぶっても、この歩みは時代の意志を表した歩みであるがゆえに、止まることはない。今の時代は、自らを振り返らない者たちがその実態をわからないがために、それに立ち向かえば火の粉をかぶることもあるだろう。
しかし今、トキが来ていることは確かだ。この一連のバッシングはなぜ起きたのか。それが天の采配であるならば、それは一体全体何であったのかを全て解き明かし、世に示す時が来ている。それはバッシングをする人々に向けたものではなく、世の中全体に向けるものだ。
これからの時代に、我々は何をしようとしているのか。その価値は未来に行ってみて観えることであり、約束されてから行くようなことでは、自我の納得の上にいるに過ぎない。人間たちはもう、そういうことをやめなければいけないということを表現するために、我々はこの生き方をしているのだから、これは前人未到の世界だ。人間はいよいよその領域に入ったのだということを、この場全体で表していく。

もう、物理的五感を優先する人間を超えなければならない。時代はそれを求めている。これまで以上の段階へ進もうとしたときに、自分を壊せない人間はダメだ。自分の枠を超えられない人間はダメだ。自らの能力を超えたところを開発して、そこを観ていくのだから。それは見せかけをきれいに整えるのではなく、囚われの枠を壊して湧いてきたものを表現するということだ。
そういったことの価値を考えない者にとっては、ここは厳しい場にも見えるだろう。しかしある景色が観えた者にとっては、インチキな場所ではいけない。表面だけを繕っているような場は、嘘だろう。この時代のこの世の中に、なぜここがあるのか、ということを、世の人々に伝えていく。

現代の人々に伝えたいのは、なぜこれがわからないのか、ということ。なぜその視点に立てないのか。これは珍しい話ではなく、当たり前に道理を追っていけばわかる話なのに、それがわからないのはあまりにも思考が狭い範囲に特定されてしまっているからだ。しかし21世紀の宇宙時代を迎える人類は、それではダメなのだ。時代はすでに、この思考回路を元にして創られる時代に入っているのだから。

「現代の人々に対して」と言うと焦点がボケてしまうから、あえてこう言おう。今、あなたに問うている。そこに目覚めることが、次の時代を生きる資格なのだ。
世界のリーダーたちがいくらサミットを開催しても、それは結局は個人の損得勘定の思考回路が国家レベルになっただけで、エネルギーが大きいか小さいかの違いがあるだけで同じパターンをやっている。今の経済にしても環境問題にしてもテロ対策にしても対処療法的なことしか考えられていないのは、思考がとても狭い範囲に限定された損得勘定の上にしか回っていないからだ。しかし、人間は本来、そのような存在ではない。

これは伊勢志摩サミットを超える話だ。あのサミットで、20世紀までの人類が地球にもたらした矛盾を解決する画期的な対策を、何か打ち出しただろうか。
話し合われたのは、経済をさらに発展させるにはどうしたらいいかということだが、今の人類の経済に対する姿勢のままで経済を発展させたら、地球環境をさらに悪化させることになるのは周知の事実だ。にも拘らず、世界のリーダーたちは方や環境問題を語り、方やそれと矛盾する経済発展を追い求めている。そのように欲望を叶え続けることが、この世界の矛盾を連鎖させ、さらに大きくしている。

もう一つおかしなことは、資本主義国家だけが集まり、立場の違う国家を排除して自分たちの利害の元に一方的に世界を導こうとし、それを正義として掲げていること。それが今の世界の現実だ。テロの問題にしても、体制的に相いれない国を否定することで世界を安定させようとしているが、それは自らの利害関係の上に立っている以外の何ものでもない。
このサミットがなぜ行われたのかというと、そのように結束する仲間集めをアピールするために行われただけで、今の矛盾への解決策や、新たな時代の方向性を見出せていない、極めて20世紀型のものだ。そして、なぜ世界のリーダーたちがそろってそのような姿勢をとるのかと言えば、彼らを輩出している国家を形成する国民がそういった価値観を求めているからだ。そこから支持を受けている彼らは、本能的にそういった姿勢をとらざるを得ない。つまり、今の世界の矛盾はリーダーの責任ではなく、国民一人ひとりの責任なのだ。リーダーは、それにふさわしい人だから選ばれただけだ。

サミットでリーダーたちは演説を行ったが、それは表面的で言葉にも力がなかった。背景に自国の世論の圧力があるために、彼ら自身の明快な意志を表すことができないのだ。人々の欲望を駆り立てる時には、欲まみれの人々によって熱狂的な支持を受けるが、どんなきれいごとを語ろうとも、その姿勢に矛盾があっては、結局は筋の通ったものにはならない。背景にたくさんの利害関係が絡み合って、強いリーダーシップを発揮できなくなっているのが、今の世界の現状だ。
オバマ氏もあと8ヶ月で任期が切れるのだから、大統領としての立場を離れて一個人としての本心をあの場で語ったならば、もっと人の心を打つ演説になったかもしれない。しかしアメリカの大統領はスポンサーが多すぎて本音が出せなくなっており、それがアメリカ大統領の限界となっている。そこを突破する可能性があるのが、トランプ氏だ。
トップが民衆の顔色を伺う風見鶏のようになって強いリーダーシップが取れなくなった、ある意味終焉を迎えている国の末期症状として、トランプ氏のような人物が台頭してきた。国民は現状の矛盾に対する言いようのないフラストレーションを抱えており、それが彼らをトランプ氏支持に走らせている。
ではそのフラストレーションとは何か。これまでアメリカという国は、自分たちは世界を平和に導く善の国であるという自負の元にリーダーシップをとってきたが、その幻想が今、崩れようとしている。アメリカ人の中には自らが常に世界のトップに君臨していたいという感情があり、その実態は極めて身勝手で幼稚である部分も秘めている。しかし、対外的には「世界の警察官」という立場をとってきた。そのように、ある意味偽善者をやってきたことにより、国内に矛盾が発生し、豊かな国アメリカの影の部分に立つ人々に言いようのないフラストレーションが溜まり、それが限界に来ている。

これからの世界の国々のリーダーたちは、トップダウンのリーダーシップを取るのではなく、本音で語り合い、我々人間とはいったい何であるのかということを、これまで積み上げてきたものをすべて崩して話し合う必要がある。いじけている北朝鮮のような国も仲間に入れて話し合う。そういった意味では、トランプ氏は金正恩氏と話し合う用意があるというのだから、画期的かもしれない。
オバマ大統領にせよ安倍首相にせよ、今回集ったリーダーたちは今の体制や今までの価値観を守ろうとしている人たちだ。しかし、時代や社会的、環境的背景は、今や、これまでの人類の地球上でのふるまいを否定することを示すメッセージを発し続けている。だから、幻のように欲望の上に積み上げてきたものは、壊れなければならない。そういった矛盾をはらんだものを守ろうとすればするほど、サミットも単なるパフォーマンスの場となり、希望が生まれないどころか、利害の上に集う者たちがいれば、それに対抗する立場の者たちとの対立を深めることになってしまう。

オバマ大統領は、今回のサミット参加直前に、かつての敵対国であったベトナムを訪問し、友好の証として武器輸出の商談を成立させた。自らの強い望みとして核兵器のない世界をうたい、核兵器の拡散を防ぐと言いながら、その一方で通常の兵器を拡散し充実させており、その上に平和な世界を実現するという矛盾を語っている。
そして、核兵器のない世界を実現すると言いながら、すでに核を持っている国に対しては保有を認め、持っていない国には核を装備することを禁止する。事実、核兵器をなくすことに反対しているのは、核保有国だ。そのように矛盾している国々が国連の常任理事国であり、拒否権を持っている。こんなにも道理の通っていない世界秩序があり続けることを、おかしいと思わないのですか。みなさん。
そしてまたオバマ大統領は、かつて自国が核兵器を落とした地へ行って戦争の愚かしさや核をなくすことを訴えながら、その直前に米軍の岩国基地で行った自国軍への演説では「あなたたちは国家を支える重要な人たちだ」と激励し、やる気を起こさせている。軍人にやる気を起こさせるとはどういうことか。これが核兵器廃絶を願い平和を訴える者の、矛盾でなくて何だろうか。

しかし同時に、その訪問を受ける側の国の人々も、かつての敵国のリーダーが来たことだけで喜ばしいという、温厚なのかお人よしなのかわからない姿勢でいる。怒れとは言わないが、少なくともその言葉の奥にある実態を感じ取るだけの直観力を持ちたいものだ。
世界各国の代表が高級な車に乗り現れるのを見て、この国の人々は偉い人たちが来たと思い迎えたかもしれないが、アメリカ大統領の車はロケット砲でも通用しないような戦車のような車であり、戦艦が空を飛ぶような飛行機やヘリコプターを使い、常に厳重な警備の元に行動しなければならず、そういった立場に立った者の不幸というものがある。そしてその立場は、自らが招いている。そのような背景を知っていたならば、彼らをただ微笑ましく迎えるばかりではないとも言える。
そして今回のサミットには、600億円の費用がかかったと言う。それで世界の経済を発展させると言うのだが、ロシアも中国も参加していないのに、西側諸国だけが集まっていったい世界経済の何を語るのだろうか。この2日間のために28億5千万円をかけて建設されたメディアセンターは、サミット終了後には取り壊されると言う。そういったお金の使い方をしながら、一方では災害復興や原発の廃炉のための資金が必要だと言い、毎年大量の国債を発行して借金を増やし、消費税を増税すると言ったかと思えば、選挙の前にはそれも先送りする。やっていることが滅茶苦茶なのだ。

今、日本ではSEALDsのような動きがあるが、香港の傘兵の他、台湾やフィリピンなどアジアの各国で、若者たちが今の政治に疑問を投げかけ、新たな動きを起こそうとしている。しかしそれは、次の時代の呼び水にはなるかもしれないが、現行の体制に対する反発として条件反射のように出てきたものであり、それ自体が新たな時代のあり方として出てきたものではない。つまり、20世紀型なのだ。
香港の若者たちは中国の体制に反発し、ガンジーの非暴力を掲げているが、実はそれもまた暴力だ。なぜなら、そこには対立軸があるから。彼らは優秀で、いずれ政治家になるのかもしれない。しかし世の中を変えるということからすると、彼らは今の体制があるからこそ、そこへの反発をエネルギーとして出てきたのであり、彼らの中から独自に新たなものが湧き出しているわけではないのだ。

もう新たな時代が地球上に来なければいけないのに、そのための指針を示せる場所が、世界中のどこにもない。19世紀、20世紀に発生したイデオロギーは、社会主義でも共産主義でも資本主義でも、人々の実際の生活につながっていた。ところが最近台頭してきたイデオロギーは、生活に密着していない。何か強大なものに対する反発として発生しており、単なる闘争になっている。
それをもう一度、生活に落とすというところへいかなければいけない。それを生み出すのは、智恵だ。イデオロギーも本来智恵であるはずだが、20世紀型のイデオロギーは智恵ではなく、怒りのエネルギーが元になっている。それが智恵となって湧き出した時に、若者たちは実際にその生き方を始めるだろう。そこがまだできていないから、今の若者たちの動きはまだ次の時代の受け皿にはならず、ただ大人たちがやっていることへの反発となっている。
香港の若者たちは中国の体制に反発し、それを壊そうとしている。それは体制側が今の状態に執着しているからこそ、それを壊そうとするエネルギーが働くのだが、そうしている若者たち自身も同じ立ち位置にいることに気付き、自らを壊さなければいけない。なぜならそれは、執着と執着の対立だから。これはかつての西側対東側、共産主義対資本主義といった構図も同じで、双方が共に壊した時にこそ、新しい世界を創ることになるのだ。

これはおもしろい分析だが、こんなことを語る年寄りの存在に若者たちは気が付かないから、なかなか伝える機会もない。この視点は彼らの情熱に水をかけるようなものだから、熱く燃焼することに邁進している彼らが、水をかけられるようなものに興味を示さないのも仕方がない。しかしあのままいくと、そのうちに火傷することになるだろう。

我々がやることは、ウケ狙いではない。ニセモノだらけになってしまった今の時代に、真実を、生命エネルギーを乗せて表現していく。
我々がいかに、土に触れ、自然と向き合いながら生きるということをやってきたか。そのエッセンスがここにはたくさんある。それと対話する能力をこれから開花させ、広めていく。机上の空論で理想郷を語っても、現実に成るわけがない。成るとは、地球はそもそもそういうところだということに気付くということだ。

久しぶりに、天の扉が開いた。
最近は上を見ると天井が見えていたが、久しぶりに天井を突き抜けて、その奥が観える。

これは個人的な偏った見解ではなく、必ず近い未来に人類が体験することを予言として語っているものである。それを感知できるような人類でなければ、これから訪れるであろう更なる困難を乗り越えることはできない。

 

 

 


『シリーズ激動の世界』より ③揺れる“超大国”~アメリカはどこへ

時代の転換期を迎え大きく揺れ動く世界の今を描くNHKスペシャル『シリーズ 激動の世界』。第1回『テロと難民~EU共同体の分断』、第2回『大国復活の野望~プーチンの賭け』に続く第3回は『揺れる“超大国”~アメリカはどこへ』。
冷戦崩壊後、「世界の警察官」として国際秩序への関与を続けてきたアメリカ。 しかし、イラクではアメリカがフセイン政権を崩壊させた後混乱が全土に広がって多くの死傷者を出し、内戦が激化するシリアでも対IS戦略に迷走するなど、中東での対応は混迷を極めています。オバマ大統領が「もはやアメリカは世界の警察官ではない」と宣言する一方、「偉大なアメリカを取り戻す」と言って過激な発言を繰り返すドナルド・トランプ氏が次期大統領候補として浮上。世界中にISに共鳴する若者が増え続ける中、アメリカ政府はITを駆使してアメリカの価値観を拡散させる情報戦に乗り出しました。

*番組の内容については下記をご参照ください。
『シリーズ激動の世界』公式ホームページ

 

シリーズ 激動の世界
第3回『揺れる“超大国”~アメリカはどこへ』より

あわちゃん:
最近、日本人女性が書いた片付け術の本が全米1位を獲得したというニュースを観ました。部屋を整頓することによって自分が生き生きするというようなことを書いた本が、1年以上もベストセラーを続けてついに全米1位になったらしく、米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」にその人が選ばれたそうです。だけどその生き生きって、今までの生き生きだなと思うんですよ。昔僕が会社員だったころに目指していたような、その世界の中で勝ち残っていくための生き生き。だけどこれからの時代の生き生きは、確実に今までとは違うものだろうと思うんです。

いさどん:
僕もたまたまその人が紹介されている番組を観ました。アメリカでタレントのようになって講演もしていて、片付けについてですからそれほど難しい内容でもないのでしょうが、その講演に2000人の人が集まるそうです。僕はそれを観ていて、アメリカ人たちがモノをたくさん持ち過ぎて、身動きが取れなくなっていることを感じました。体にしても、世界の中でのアメリカという立場にしても、所有し過ぎてこれからどうしたらいいかわからなくなっているのです。
しばらくの間、アメリカという国が世界の警察であり、正義であり、目指すべき着地点でした。しかしオバマ大統領は、「アメリカはもはや世界の警察官ではない」と言いました。昔は外国に介入することが自分たちの国益になるからこそ、国民も損得勘定でそれを支持していたのですが、ブッシュ大統領に乗せられてイラクに介入し、大変な出費と痛手を被ったのです。そのトラウマから、自分たちの利益にならないことに正義感をかざして他国に介入するのはやめようという気運がアメリカ国内に高まりました。

ともこ:
アメリカにシェール革命が起きて、原油を自給できるようになったことも大きな要因だと言っていたね。もう中東の石油に頼らなくてもよくなった。

いさどん:

アメリカは民主主義の国ですが、そこには落とし穴があります。国民の意識が低いと、その低い意識の人たちも一人一票を持っているわけですから、低い意識によって代表が選ばれるのです。国民が賢ければ優れた人が選ばれますが、国民が愚かであれば愚かな代表が選ばれ、結果的に戦争に走るようなことにもなるのです。
ロシアや中国のように半独裁の国では、民意に反してでもトップの判断でことを推し進めることができます。しかしアメリカのように世論が人々の欲望のままに動いている世界では、その世論の意識レベルの代表が常に選ばれる仕組みなのですから、皆が目指しているものが共通している時はそのまま進んでいくのですが、ひとたびその目指しているものが崩れるとてんでバラバラな社会になっていくのです。それで今アメリカは迷走状態になっています。
アメリカの若い女性が片付け術を知って幸せになりましたとコメントしているのを観ながら、多くのアメリカ国民の意識がそういった低い層にあることを感じました。しかし日本のマスコミは、日本人がアメリカでベストセラーを出して「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたということで騒いでいます。そのニュースを観る日本の国民の多くも「へぇ、すごいね」と言って終わるのかもしれませんが、僕はそうは観ません。アメリカ人の意識はそこにヒットするレベルなのだということが明るみになっただけです。

ともこ:
アメリカの世論調査で、トランプ氏が「尊敬する人物」の1位になってたね。

いさどん:
民主主義は選挙によって代表を選びますね。選挙にはたくさんのお金が必要ですから、立候補する人にはスポンサーがつくことになります。そうすると候補者はスポンサーの意向を無視することができないので、言いたいことが言えなくなります。アメリカは言論の自由を掲げていますが、実は民主主義とは言いたいことが言えるわけではないのです。それが今の世界を支配する民主主義のアメリカという国の現実です。
それに対して、トランプ氏は十分な財力があり、スポンサーに頼らなくてもいいから言いたいことを言うことができます。

bunmeishuukisetsu文明周期説で観ると、今は800年ごとに東西の文明の盛衰が入れ替わるちょうど切り替えの時です。その切り替えの時には必ず民族の大移動が起きており、現に今も中東からヨーロッパにたくさんの人が移動しています。およそ800年前に、イスラム文明(東洋)が栄えていた地に十字軍がやってきてキリスト教(西洋)の支配が始まりました。それが今まさに入れ替わりの時に来ており、これからイスラム教が栄えていくのか仏教が台頭してくるのかはわかりませんが、それに対して抵抗しているアメリカ的、白人的危機感があります。
アメリカは多民族国家と言われていますが、中心となって国を動かしているのは白人です。これまでのアメリカは、自国の利益のためにベトナムやイラクなど多くの場所で戦争を起こし、たくさんの人を殺してきました。そのアメリカの本音、実態がトランプ氏の発言に現れているのです。アメリカは、自らが世界のNo.1であるという余裕の上に、意識の高い優れた国であるかのように見せてきましたが、資本主義が脅かされて自らの利益に影響するとなるとあからさまに戦争でも何でも起こし、自国の権益を守ってきました。そこにアメリカの本質が観えはしませんか。
アメリカ人の中には、紳士であろうとする心と、その紳士の仮面の奥に自分たちがNo.1でなければ許さないという心があります。そこにトランプ氏が登場しました。彼がなぜ支持されるのかというと、アメリカ人が表に出さない本音の部分を語っているからです。
世論調査では、回答者の名前は表に出ません。そうすると、人々はそこでは本音を出せるのです。選挙も同じですね。記名するわけではありませんから、自分が誰に投票したかは他の人にはわかりません。トランプ氏が「尊敬する人物」だというのは、ある意味、アメリカの白人の本音の一端だと言えます。

ひろっち:
本音を代弁しているからこそ、めちゃくちゃなことを言っていても支持される。

いさどん:
そうです。アメリカの光と影が今、表に出てきたのです。トランプ氏はわかりやすいでしょう。
オバマ大統領はとても平和的な大統領として登場し、核をなくすと言っていましたが、実際には核はなくなっていません。それはなぜかと言うと、アメリカ国民全体の意志がそれを望んでいないからです。その代表の立場に立った時に、国民も、自らの背後にいるスポンサーも、本音ではそんなことは望んでいないので、それを実行できるわけがないのです。当選した時には平和的な大統領であったはずが、アメリカのつくってきた世界での立場や国民の意識の実態が観えてくると、結局は前の政権を受け継いで戦争を継続することになりました。
そこにスポンサーを持たず言いたいことが言えるトランプ氏が登場し、支持を集めました。彼は選挙でも善戦するでしょう。しかし、アメリカ人には利益よりもメンツを大事にするところがあります。ですから自分の本音を代弁してくれるトランプ氏のことは支持しても、いざ彼が大統領になったらとても品の悪い大統領としてアメリカの恥になりますから、最終的には彼を大統領として当選させることはないでしょう。もしも彼が大統領になったらアメリカの威信は失墜するということはわかっているでしょうから。

しかし、アメリカ人の本音を引き出したのはトランプ氏が初めてです。ですから今はアメリカ人の本質が観えているのです。周囲はトランプ氏の発言を彼の個性だとしていますが、彼は国民の本音を引き出しただけですよ。彼は時代を象徴しており、あれだけ極端な発言を繰り返しながらもここまで支持を集めているということは、白人の奥に隠されていた一面が現れているということです。これまでアメリカが世界の警察官だと言ってきたこと自体がまやかしであり、それが暴かれてきたということです。

では世界は次にどんなリーダーを求めるのか、どんな社会を求めるのかというと、今はそれが観えません。そこに便乗してプーチン大統領のロシアが台頭してきたり、中国が動き始めています。しかしそのどの国も、次の時代をリードすることはできないでしょう。番組内ではアメリカ、ロシア、中国が世界のトップリーグで競うようになると言っていましたが、冷戦の時に二極化していたものが三極になり、さらに多極化して混乱がますますひどくなることでしょう。片付け術の話と同じように、世の中が迷っているのです。
誰かを悪者にして「あいつが悪いんだ」と言っているうちはいいのです。しかしいざその「あいつ」が転落すると、あいつがいるから「あいつが悪いんだ」と言えていたのに、悪者がいなくなってしまったらいったい誰を悪者にしたらいいのだろう、悪いのは誰なのだろう、ということになります。そして結局は、みんな悪者だったというところに落ち着くかも。

みかこ:
そこは大事なポイントだよね。スケープゴートが必要なんだよ。

ともこ:
ある意味、アメリカという国は人類のカルマを引き受けているんだね。

いさどん:
そうですね。アメリカという国は上行菩薩の役割を果たしているとも言えます。
実はヒトラーも霊的には上行菩薩なのですよ。これはとても深い話です。アメリカもヒトラーも、他にその役割を代わって行える者がいないことを成し遂げたのです。その結果、社会は極端なところに行きつき、そこから自らの存在の可能性を知ることになるのです。
例えば安倍首相は自らの野心の上に一生懸命国を良くしようとしていますが、そこには国民にうけようとする心があります。ヒトラーは、国民にうけようとしたというよりも、自らの妄想の中に国民を巻き込んだのです。実際、戦争が終わった時に国民は自国が行ってきたことの実態を見て驚いているでしょう。ヒトラーは死を迎えた時に、難しい役割だったけれど何とかその役割を果たしたと思いながら旅立ったのではないかと僕は想像します。それに対してアメリカ国民も、アメリカ的価値観が終焉を迎えつつある今、その価値観の奥に秘められた負の部分を知ることになるのです。

民主主義は、一番支持を得た人がトップに立ちます。そしてそれが正義となります。マスコミもまた、多くの人にうけるような内容を報道します。その方が支持をされ、お金になるからです。自分でものを考えない人が増えればその方が簡単ですね。流した情報をそのまま信じてくれるのですから。かと言って、何でも疑って情報をねじって捉えるのが良いわけでもないですね。どのような情報であっても、時代を読んでいれば、たとえその情報が歪んでいようとも、その奥にある真実が観えるものです。

みかこ:
嘘と誠が混同されて報道されていく。そこに惑わされずに日々を淡々と過ごし、自分のやるべきことをやっていくということだと思う。こういった番組を観るのは、その視点を持つためのトレーニングになるね。

りょうちん:
イギリスのギャロップ社の世論調査によると、シリア国民の82%が「イスラム国はアメリカと外国が支援して作った組織である」と回答し、「外国人の勢力の介入が内戦を悪化させた」と回答した人が79%、アサド政権を支持する人が79%います。アメリカはアサド政権を悪者にして反政府軍を支援していますが、シリア国民からすると余計なことをしてくれていると思っているのではないでしょうか。番組では、アメリカ軍が中東から撤退して力の空白ができたことでISが生まれたかのように言われていましたが、そもそもテロリストを作っているのは誰なのか。そこに力の流れを感じます。

いさどん:
情報を受けて、思考がその情報に限定される必要はありません。こういった番組を観ても、番組が提供してくれた情報にただ反応するのではなく、その情報の奥にこれまで自分が捉えてきたこととは違う何かを感じ取り、そこに時代の流れを読み取った時、人は一歩成長します。情報を自分の知識として取り入れて満足したり、それが正しいと固定して捉えていては、今までの教育と同じです。今までの教育というのは、情報を受けて、どれだけそれを身に付けたかによって人の優劣が決まってきました。しかし本当は、その情報の奥の奥にあるものを見出して、智慧がその本質を読み解くことが大事なのです。それは菩薩の精神です。
近年の人類は、何かを企む心から現象の奥を見るということはあっても、多くはものごとを表面的に見て対応をしてきただけでした。しかし、現象の奥を観る客観的視点の、そのさらに奥を観る視点があるのです。

こういった映像を観ても、日本の多くの人は自分とは直接関係のない外国の出来事だと捉えるのではないでしょうか。しかしアメリカが起こす戦争の影には、それを支援する日本のお金や体制があります。我々が銀行に預けているお金がどこかの戦争の資金として運用されているということにも、多くの人が無自覚です。
今の映像を観て、観客になっていませんか。すべては自分に責任があるのですよ。自分はあの真っただ中にいる、それでいいのかと自問し、たとえ小さくとも明日からの自分の一歩が変われば、世界が変わっていくのです。
人としてこの時代に生まれてきて、どう生きていくのかは一人ひとりに責任があります。そこに気付き、一人ひとりが目覚めていくと、今世の中を操っている人たちがだんだん操りにくくなる社会ができていきます。逆に言うと、今は多くの人がスマホで馬鹿になり、インターネットで馬鹿になり、極端なことを言えば高学歴で馬鹿になっています。幸せや成功の価値観がすべて一方通行なのです。
本来、この世界はもっと多様であるべきです。日本はアメリカ的価値観に乗って一歩通行に歩んできましたが、今それがどういった企みの延長線上にあったかということが明るみに出てきています。自国の利益のために突き進んできたアメリカという国に加担して今の日本があるとしたら、私たちはここからどう進んでいくべきなのでしょうか。

りょうちん:
民主主義は国民に主権があると言いながら、国民に情報を与えず馬鹿にして操作する。それって選択させているようでいて、実際は選択なんてできていない。

いさどん:
人間の欲望を刺激し、利用して、支配するための体制とも言えますね。しかし、例えば北朝鮮が先日水爆実験をしたという時に北朝鮮の国民にインタビューをしたら、水爆実験は北朝鮮が世界で初めて行ったと言っていました。そのくらいあの国の国民には情報が届いていないのです。
民主主義の社会では、膨大な情報を国民は手に入れることができます。しかしその社会の人々は、その情報を正しくこなしているとは言えません。ある意味、その姿は欲望の虜になっているようなものです。それは、共産主義の理想社会を描く人から見ればとても乱れた自堕落な世界に映るでしょうね。そして今、世界中の人々が(共産主義、社会主義を問わず)その欲望を求めることに走っているのです。

ともこ:
アラブ諸国の民主化を「アラブの春」って言うでしょう。いかにもアラブにいいことが来たかのような表現だけど、実際はアラブの反欧米的な政権を倒すためにアメリカを始めとする欧米諸国が反乱を煽っていて、結果的にアラブ諸国にすごい混乱が起きたね。

いさどん:
「アラブの春」とは欧米が命名したもので、人々の欲望を抑えていたものが反乱によって壊されたということです。アメリカはアラブの春に期待していましたが、結局は民主化が定着したのはチュニジアだけでした。アメリカはアラブに「アメリカ的民主国家」を作ろうとしました。その方がアメリカの国益になるし、世界の皆さんもその方がいいでしょう、ということをアメリカは言っているのです。
しかし番組の中でも、「アメリカ的価値観を押し付けるのをもうやめなければいけない」ということが言われていましたね。アメリカは自由に発言ができて、何でも自由に手に入れることができて、地球上の人が皆アメリカ的価値観になれば幸せになれるとでも言うようにその価値観を広げてきましたが、現実のアメリカ社会を観てください。あんなにも貧富の差が生まれ、片付け術が大流行するほどモノがあふれています。地球上の人がすべてアメリカ人のような生き方をしたら地球が5.4個必要になると言われるほど、地球に負荷をかける生き方なのです。そういった答えが既に出ているのに、まだアメリカ的価値観を広めようとしています。そしてその価値観しか知らずに、自らの欲望に縛られている人々が世の中にたくさんいます。これからの時代は、その価値観から人々を解放する必要があるのです。
人々が自らの欲望から解放された時、我々はがんじがらめに縛られて生きているということが観えてきます。何に縛られているのかと言うと、過去から未来へ一方通行に流れる「時」に。そして生命としての自らの存在に。生命は水がなければ生きていけません。空気がなければ生きていけません。食べ物がなければ生きていけません。そして雄と雌がいてコミュニケーションを成立させなければ、種を存続することができないのです。
そういった無限な要素の連携があって初めて、私たちは命を健全に保つことができるのです。そこに、自我に囚われた意識で生きるということは、そういったこの世界の成立する根本体系から外れることになるのです。

自我の囚われから解放されると、我々はがんじがらめの世界で生きているということがわかります。そのがんじがらめの中にありながら、実はとても豊かで無限の世界にいるということがわかるのです。
民主主義であっても、共産主義であっても、それは人間が人間のために創った制度です。そこに自然や宇宙の法則は含まれていません。しかし、私たちの生きる地球や太陽系や宇宙の仕組みは、人間に関係なくすべて先にできていて、後から人間がそれに合わせて出てきたのですよ。そうしたら、人間がそこに合わせ、そことの整合性を取りながら社会を創っていけば、それは法則に沿ったものになりますから無理が生じません。そこでは人間の中の「自分が」という自我の心を優先する必要はないのです。それは人間が自我の境地を超えて、この世界を生きるとはどういうことなのかを悟るということです。

この番組はEU、ロシア、アメリカを取り上げた3回シリーズですが、番組を観ていて何か感じませんか?
文明周期説から観ても、太陽の螺旋運動の25800年の周期から観ても、冥王星が太陽の周りを1周する248年の周期から観ても、現代はいくつものターニングポイントを迎えています。我々はそのサイクルを知っているからこそ、今、イギリスに始まりアメリカによって拡大された価値観の賞味期限が切れようとしていることも、当然の時代の流れとして捉えることができます。

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pluto

しかし、番組に出て来る評論家たちにはそういった視点がないので、この問題をどう解決したらいいのか、これからアメリカはどういった行動をとるべきなのか、という議論に終始しています。アメリカは行動をとらなくていいのですよ。このまま収縮していくのが時代の流れなのですから。そして、収縮しても国がなくなるわけではありません。もしもアメリカという国に謙虚さが生まれたら、大変優れた国になるでしょう。傲慢だったから今のような状況になったのです。
ですから、今はアメリカにとってチャンスでもあるのですよ。そのチャンスを生かすには、今所有しているものを捨てることですが、今のアメリカはそれができず、過去の栄光を手放せずにいます。肥満になった人がなかなかスリムになれないようなものですね。だから片付け術が流行るのです。
しかし、時代は常に変化し続けています。ある時に正義だったものがある時には悪になり、そしてまた正義になるというように切り替わっていくのです。そして時代は人類が創っているのではありません。すべては宇宙の法則のままに、我々人類は時代の意志を請け負い、地球上に生まれ、表現しているだけなのです。そこに目覚めた時、人類はもうひとつ大きな視点に立つことができます。
そう言うと、「自分の考えを捨てなければいけないのですか?」と言う人がいますが、捨てていいのですよ。それを捨てて、もっと大きな、広い、高い意識にシフトし、それを自らの考えとして生きていけばいいのです。この世界を運営している法則のもとに自分たちがあり続けるということが理解できた時に初めて、地球生態系ネットワークを傷付けない、この世界の盟主としての人類の姿があるのです。

アメリカはひとつの時代を担った、それだけの大きなキャパを持つ国です。しかし大きなものが調子に乗ってさらに大きくなりすぎて、肥満大国になり、身動きが取れなくなってきました。冷戦時代に二つに分かれていた正義が、ソ連の崩壊によって一方が崩れアメリカが全面的に世界の正義の立場に立つこととなりましたが、アメリカ国民もどこかで自分たちの中に嘘があることを知っていたのではないでしょうか。それでも、自分たちが正義でありNo.1であるということに慣れてしまい、そこから外れることが許せないのです。
しかしいよいよ、その囚われから外れないとやっていけない時代が来ました。それはアメリカにとってチャンスですが、そのチャンスを活かさなければ、肥満からさらに生活習慣病の老人のようになってしまうことでしょう。ここまで世界に影響を及ぼすほど拡大したアメリカの意識を、自らのキャパの大きさを活かして本当に見直した時、アメリカは真に優れた国になれるのです。

そこで日本も、アメリカのポチのような立場から自立して、日本人が本来取るべき立場を取る時が来ています。しかし現状を観ると、国民がアベノミクスにつられて自民党に大量の議席数を与えた結果、安保法制が可決されました。国民の意思が反映されるのが民主主義だと言いますが、世論調査では安保法制に反対する人の方が多いのに、その法律が成立したのです。
安倍さんは、国民は今は嫌だと言っているけれど、実際にそれを進めていけばきっとそれが必要なことを理解する時が来ると言っています。それは、国民は愚かだから、この国を守ることの大事さをよくわからないのだと言っているようなものです。そして、そのうちに慣らされていくだろうということです。そんな安倍さんに代わる人材が今の日本にいるかと言うと、そういった人材は残念ながら見当たりませんね。
アメリカの大統領候補を見てください。やはり国を託せるような人材はいないでしょう。では世界にリーダーシップを取れる人材がいるかというと、やはり見当たりませんね。世界にリーダー不在の時代が訪れたのです。リーダーが不在だということは、庶民の目覚めの時代が来たということです。

今の世界情勢を観て憂鬱に思えることがありますが、憂鬱になるのはものごとを所有しているからです。宇宙の法則のもとに、時代は連綿と進化し続けています。今世界で起きていることは人類がやっているのではなく、星と星との関係によって時代が刻まれ、それが地球上の現象となって表現されているのであり、その中で私たちは、その宇宙劇場の役者なのです。
そんなふうにこの世界を捉えたら、今地球上で起きていることもすべて、「これは悲惨なことだ」というように感情に訴えて見るのではなく、客観的に捉えることができるはずです。そしてその宇宙物語の中での自らの立ち位置を知り、それにふさわしい役割を果たしていくことができるようになるのです。
もっとも、みんながそうなってしまったらつまらない世界かもしれないですね。わからない人々がいるからこそ、この世界はダイナミックなのですから。

時代はいくつものターニングポイントを迎え、いよいよ世の中が根底からひっくり返る時が来ています。ですから、今はそこから離れて全容を捉える視点が必要です。そうでなければ、自らも一緒にひっくり返ることでしょう。
これからの時代に求められるのは、今の世の中に通用している人材ではなく、まったく新しい価値観を持って次の時代を生きる人です。次の時代を生きるとは、近年人々が築いてきたモノカネに支えられた物理的豊かさや科学的真理を超えて、その奥にある価値観を捉えていくということであり、そのためには、自らの自我の囚われから二歩外に出ることです。客観的視点の奥にある時代の意志を受け取り、自我を超えて生きていくことです。

新しい価値観に人間がシフトすると、今の時代とは全く真逆の世界がそこに顕れるのです。

 

 


『シリーズ激動の世界』より ②大国復活の野望~プーチンの賭け

時代の転換期を迎え大きく揺れ動く世界の今を描くNHKスペシャル『シリーズ 激動の世界』。第1回『テロと難民~EU共同体の分断』に続いて、第2回『大国復活の野望~プーチンの賭け』を大人ミーティングで観ました。
一昨年クリミアを併合し、世界に衝撃を与えたロシア。プーチン大統領の強いリーダーシップのもと、混迷が続きアメリカが行き詰ったシリア情勢でも大規模な空爆に踏み切るなど、欧米とは一線を画した路線で存在感を際立たせています。ヨーロッパに自立を呼びかけ、アジアや中東で台頭する地域の大国とも連携して新たな国際秩序をつくり出そうとするロシアの今を描く番組から、何が観えるのか。ミーティングで話し合いが始まりました。

*番組の内容については下記をご参照ください。
『シリーズ激動の世界』公式ホームページ

 

シリーズ 激動の世界
第2回『大国復活の野望~プーチンの賭け』より

いさどん:
これまでは、アメリカの思惑の上に世の中が動いてきました。ある意味、世界を資本主義の麻薬漬けにしてきたようなものです。ロシアは、それに待ったをかける役割を果たしているとも言えます。
プーチン大統領は、やはりロシアはロシアらしく生きるべきであり、アメリカにマインドコントロールされて使われているようではダメだと言っており、それはとても筋が通っています。ではロシアが世界を次の時代へと導くかと言うと、そうではないですね。ロシアは、アメリカのこれまでのやり方が世界に様々な問題をもたらしたと言って対抗していますが、その問題に対する解決策を提示しているかというと、ロシアもまたアメリカと同じように、今までの時代の延長にことを考えているのです。
今のロシアは共産主義から離れて、ナショナリズムが台頭してきています。

みちよ:
プーチン大統領はヨーロッパに対して、アメリカから自立するべきだと呼びかけていました。フランスなどで極右政党が台頭してきたのも、そういった流れの中にあると思います。

いさどん:

そんなに簡単に物事をくっつけて考えてはいけませんよ。昨日観た第1回(『テロと難民~EU共同体の分断』)にあったように、フランスで極右政党が台頭してきたり、ドイツで極右でもない人が移民を排斥しようとしている動きがありますが、その流れとロシアの流れが一致しているかどうかはわかりません。フランスの極右政党とロシアは互いのニーズが合って近付いたかもしれませんが、では同じ流れにあるのかと言ったら、それぞれに思惑があってお互いを利用しようとしているだけのことで、フランスでの極右政党の台頭がロシアと絡んでいるとは限らないのです。
物事を正しく考えるためには、まず情報を正確に捉える必要があります。安易な発言をして、ものを考えない人たちがそれを聞くと、間違った情報でもそれがそのまま事実となっておかしな方向へ進んでしまうのです。ですから自分の発言の内容を吟味しなければいけません。

ソビエト崩壊後、アメリカの影響で市場経済化を進めたロシアは一時期大混乱に陥りました。番組には、プーチン大統領を支援する「謎の実業家」という人物が登場しますが、当初はアメリカの自由な民主主義に大きな魅力を感じていたその実業家も、厳しい現実を目の当たりにして、結局アメリカは自分たちの利益のためにロシアを利用したのだと失望したと語っていました。そういった背景があって今の彼の行動につながっているわけですが、この番組では彼は悪者のように描かれています。そもそも『大国復活の野望』というタイトル自体が、すでに西側の視点に偏っていますね。
しかし、タイトルは西側寄りでも内容はそうとは限りません。ロシア側の世界観から見た正当性も引き出されており、自分をフリーな状態にして世界を観るには貴重な資料となる番組です。西側の視点から今のロシアを見れば、まるで破壊者が現れたようにも捉えられるのでしょうが、ロシア側からしてみれば、ソビエト時代からずっと今に至る歴史の中でアメリカはまったくロシアのためにならないということがわかり、自分たちは自分たちのやるべきことをやるのだと気付いて今の状態があるのです。

あわちゃん:
世の中にたくさんの情報があって、それぞれの情報がどこから来ているのかもわからない中で、捉え方はいろいろあると思うんですけど、やっぱり広い視点に出会うとワクワクします。今のロシアも、広い視点で観たら役割を果たしているんだなと思うんです。時代がターニングポイントを迎える中でアメリカの力が弱まってきて、その中でロシアという国が台頭してきて、混沌としていくのが今の時代の流れなのかな、と。そう思うと、プーチンさんが言うこともこれまでの時代の価値観の延長で、混沌とすればするほど、次の時代に向けて目覚めようとする力が強まっていくのだろうし、すべてはそこに向かう過程なのだろうと思います。そんなふうに捉えるとすごくおもしろい。

ともこ:
例えばキューバのカストロ議長やベネズエラのチャベス大統領、シリアのアサド政権やイラクのフセイン政権など、アメリカに対抗するものは常にネガティブに描かれる一方的な視点が、日本のマスコミのベースになっているよね。ただ、それって一方的な価値観だよねと言うだけでは、それもまた一方の価値観に対するアンチ的な発言でしかなくて、大事なのは、そういったものもすべて含めてもっと長いスパンで歴史を追って時代の流れを観て、自分たちの立ち位置を知ることだと思う。中国やロシアが「かつてここは自分たちの領土だった」と言うのも、自分という立場から短いスパンで区切って都合のいいように歴史を捉えているわけで、もっと大きな流れから捉える視点が今の世の中に欠けている。

いさどん:
今、世界中が混乱の極みを迎えています。人々は自分たちのアイデンティティがどうのと言って争っていますが、アイデンティティというのは個々が自分に執着している時に生まれるものであって、では地球人のアイデンティティはどこにあるのか、ということをこれからは考えていくべきでしょう。国家や個人という狭いものを基準にするから、今のような状態になるのですよ。
この番組に限らず、昨年は戦後70年ということで歴史を振り返る様々な番組がありましたが、多くが西側寄りの視点で描かれています。いくら安倍首相を批判していても、やはりその視点も西側寄りなのです。その視点を突破しない限り、こういった報道が問題の解決のきっかけになることはできないのです。

今の社会の体制は、イギリス産業革命以降の250年間の価値観がベースになっています。しかし2012年12月21日に銀河の冬至を迎え、25800年ぶりのターニングポイントを迎えたということは、これまでとはまったく違う価値観を、時代は人類に求めているのです。
ロシアは、ソビエト連邦を崩壊させました。共産主義から発展した社会主義の崩壊です。それは共産主義や社会主義が悪いのではなく、それをリードした指導者たちの官僚体制の腐敗であったり、そこを構成した民衆が未熟であったということに原因があります。一人ひとりの人間の質を上げずに制度だけを重視しては、結局はその制度自体が、民衆一人ひとりの質の低さによって壊れていくのです。そしてそれは順番に起きているだけのことで、共産主義が崩壊したら、今度は民主主義に同じことが起きています。
アメリカという国は自由と物理的豊かさを正義として人々の欲をくすぐり、追随させてきましたが、その賞味期限も今、切れようとしています。もしくは宇宙的には、すでにアメリカの賞味期限は切れています。それなのに、なぜまだその偏った価値観を維持し続けようとするのでしょう。

番組では、これからは世界一の軍事力と経済力を持つアメリカと、同じく軍事力と経済力を持つ中国、そして経済力はないけれど軍備は整っているロシアの3つの大国が競い合うことになるだろうと予想されていました。ロシアはアメリカと違い、議会の承認を得なくても即対応ができる決断力があり、お金がなくてもどこか魅力があるでしょう。民族主義が台頭してくると、お金の損得勘定は抜きになってくるのです。それが今のロシアの国の体制です。
ただ、プーチン大統領はアメリカに対抗して今の立場を取っていますが、逆に言うと、プーチン大統領もアメリカと同じように力でリーダシップを取るこれまでのやり方で、強いロシアになろうとしています。しかし、これからはそういった軍事力や経済力などの力で世界をリードする国は、いらないのです。

こうちゃん:
どの国も軍事力や経済力などの力を持っていることが大国の条件になっている。力で世界を支配しようとするのが今の世の中だけど、平和は力の駆け引きで実現するものじゃなくて、視点をもうひとつ上にあげることでもたらされるものでしょう。

いさどん:
戦後に生まれた新たな秩序は、70年前の大戦の結果もたらされた力によって構築されたものでした。今はそれを卒業できるかどうかという時です。それを現代人の視点から単純に考えると、不可能にも思えます。なぜかと言うと、新たな価値観に出会った時に、例えば30年間生きてきた人なら「今まで30年間生きてきてそんなことはなかったじゃないか」と思うものです。60年生きてきた人なら「60年生きてきてそんなことはなかった」と思うのです。
しかしその視点は、あまりにもスケールが小さなものです。太陽が2億2600万年をかけて銀河の中心を周りながら約9000回の螺旋を描く、そのたった1螺旋の25800年から観ても、60年の人生などほんの最近のことなのですよ。そういったことを理解することが、世界観を広げ、時代を読み解く力を身に付けることとなるのです。

2月14日から「1ヶ月間の真学校」が始まります。そこで受講生たちに何を伝えるかというと、新しい秩序です。真学校を受ける人々は、今の社会の秩序に対して何らかの疑問を感じています。疑問を感じながらその秩序の中で生きようとしても、心の中はずっともやもやし続けるのです。その時に、すべてをひっくり返すような、「ああこれだ!」という青天の霹靂のような視点に出会って初めて、本当に晴れ晴れと胸を張って毎日を生きられるようになります。そして真学校を受講した人々がそういったものを得て、卒業後もその延長線上に生きることが、世直しとなっていくのです。

しゅうご:
僕ら若い世代が次の時代を創っていくのが大事だということを強く感じてます。そして次の子どもたちにつないでいくんだ、と。

いさどん:
番組でロシアの大学生が話し合っていましたね。どういう基準で選ばれた学生たちかはわかりませんが、少なくともあの番組に出ていた学生たちには、国家というものに対する意識が強くありました。それは、少し前に国家が一度破たんしたからです。
日本は平和ボケをしていて、最近ではSEALDsのように安保法案に反対する学生の運動も起きていますが、それも裏に民主党や共産党の影があり、若者が本当の意味で自立していません。安保法制は戦争法案だ、自分たちは戦争をしたくないというのですが、誰が好んで戦争をしたがるでしょう。自民党も戦争をしたくないからこそ、彼らなりに戦争を回避するために安保法制を成立させたのです。今の日本の世論の現状は、そういった個人の損得の意識の延長線上にあるのです。
先ほど僕はみちよちゃんのコメントを訂正し、物事を正しく考えるには情報を正確に捉える必要があることを話しましたね。これも同じで、実態の伴わない思惑がらみの議論が膨らんでいくと、話が本質からずれていきます。先の大戦を経験した日本は、誰もが戦争をしたくないのが本音です。安倍さんは装備も持ちたくないし戦争もしたくないから、アメリカのポチになっているのです。それを見てプーチン大統領が、日本との北方領土の問題を解決する気にはなれないでしょう。世界の国々の現状は、そういった思惑の中で駆け引きが行われているのです。

みき:
話を聞いていて、個人も国家も同じだなと思った。今は多くの人が自分だけを大事にしたり、自分の国だけを大事にしているけれど、ここでは個よりも全体のために生きることを大切にしている。そうすると、逆に個が活かされていくんだよね。

いさどん:
それは、そういったことがわかった人の論理です。オバマ大統領でもプーチン大統領でもその話を聞けば「そうだね」となりそうなものですが、なりません。それは何故かと言うと、背後にあるたくさんのエゴによって、その人々はその地位を保たれているからです。彼らはエゴの代表になっているのです。それこそが、次の時代につなぐ前の究極の混乱の姿だと思います。
例えばゴルバチョフ元大統領は、国を解体させたということで国内では評判が悪いのですが、彼はその後、自分は自らのやりたいことをやったのではなく、時代の流れに呑まれて思うようにならなかったということを語っていました。今、プーチン大統領もオバマ大統領も一生懸命やっていますが、彼らもまた、それぞれの思惑のようには事は成りません。なぜならロシアやアメリカの体制は終わりを迎える時代の流れの中にあるからです。
それに対して木の花ファミリーの生き方は、小さいけれど新たな時代の受け皿としての芽が出てきたということであり、これから伸びていく流れの中にあります。

ともこ:
さっきの、これからの世界をリードしていくところの中に名前を入れられるね。アメリカ、中国、ロシア、木の花!(笑)

いさどん:
いや、それは入れられません。入れるとしたら「日本」ですね。なぜかと言うと木の花は土俵が違うからです。江戸時代の価値観と今の価値観が違うようなものです。
ロシアのプーチン大統領は「もう1度世界のリーダーの座を取り戻す」と言いました。それはこれまでと同じ価値観の延長線上に「取り戻す」ということで、新しい時代のリーダーになるという意味ではありません。昔を懐かしんで復活させようということですから、それでは古いのです。自分たちもどこかでそれを知っているはずです。

ともこ:
確かに。ただ、アメリカでも日本でも、政治家は国民の欲望を叶えることで支持を得ようとするけれど、プーチン大統領は国民に向けて、「皆さんの不安は承知しているし状況は厳しいが、乗り越えられないものではない」と言って、個々の欲を叶えるよりも団結することを促してたね。

いさどん:
それは国の指導者としては上手な呼びかけです。アメリカや日本のように、国民の欲望を叶えることでゴマをするのではなく、我慢するべきところは我慢をしようと言っているのですから、これが本当の指導者だと思います。

こうちゃん:
でも結局はプーチン大統領の言うことも、厳しい状況を乗り越えたら豊かになりますよという意味が含まれているでしょう。

いさどん:
アメリカでも、世界のリーダーであるために、9.11の後には個々の主張を差し置いて皆で団結しようという機運がありましたね。その他の場面でも、国益にならないことはやめようといって意見を統一するところがアメリカにはあります。
しかし、今の日本にはそういったまとまるという意識がありません。何しろ利益ばかりを考えて国が動いています。マクドナルドに大和魂を売ったようなものです。プーチン大統領は、マクドナルドにロシア魂は売らないと言っています。ロシアは国内のマクドナルドを営業停止にしたり、遺伝子組み換え食品の栽培や輸入を禁じたりして、アメリカの大資本に追随しない選択をしており、それはとても筋が通っています。しかしそれもロシア流の覇権の延長線上にあることで、今はアメリカを見てそれを感じ、その矛盾を突いていますが、ひとたび支配する側になればロシアもアメリカと同じことをやるでしょう。
今のロシアは、新しい時代を切り開くものではありませんが、古い時代を終わらせる力にはなっていくのでしょう。

bunmeishuukisetsu

みかこ:
文明周期説では800年ごとに東西の文明の盛衰が入れ替わるけど、ロシアは西洋なのか東洋なのかという話があります。

ともこ:

名古屋みたいなものだね。関東なのか関西なのか、どっち!?みたいな(笑)。

いさどん:

ロシアはヨーロッパとアジアの中間だねとみかちゃんと話していました。

みかこ:
ロシアはロシアだというアイデンティティを今は出そうとしているのかな、と。

ともこ:
名古屋は名古屋だ!と(笑)。

みかこ:

歴史をそうやって見ていくと面白い。2000年で東西の盛衰が入れ替わり、今西洋文明は衰退の流れに入っているけれど、下火になったものというのは断末魔の大暴れをするでしょう。西洋は今それをやっているんじゃないかな。2001年に同時多発テロがあって、最後のあがきのような動きが始まったでしょう。
おもしろいのは、冥王星が海王星の軌道の中に入っていたのが1979年から1999年までなの。冥王星は破壊と創造の星だから、それが外に出たところで同時多発テロが始まったという、まさに星の巡りと地上の動きが一致してるんだよ。

いさどん:

ロシアは東洋でも西洋でもなく、今中間的な役割をしています。つまり、イギリスやアメリカが築いてきた古い時代の流れを壊す側でありながら、それを受けてまた同じことをやろうとしている立場だということです。
先日ムルンくんが面白いことを言っていましたね。習近平はあと2年で本領を発揮するだろうと。今は世界の中で確固たる地位を築くためにああいった姿勢を取っていますが、本来彼はとても歴史に関心があり、アジアの精神をいずれ中国に復活させるだろうと言うのです。中国のような歴史的にも複雑な国は、ある程度強引な指導者でないとまとめきれないのです。中国の現状はある意味、共産主義体制の独裁国家ですから、プーチン政権よりもさらに長持ちするかもしれません。アジアがこれからどう様変わりしていくかは、大変おもしろいところです。

次の時代へ進むためには、国家を超えた世界観を持つことです。地球はひとつのコミュニティであるという意識を持たないと、それはできません。「あなたは何人ですか?」と聞くと「日本人です」とか「ロシア人です」という回答は返ってきますが、「地球人です」と答える人はなかなかいないですね。そこが今の人間の限界です。まだ宇宙意識どころか地球意識も持っていません。
1ヶ月間の真学校で提供していくのは、固定された情報ではなく、新たに湧き出してくるものです。どこにも囚われない広い世界観をどんどん提供していくことによって、受講生たちがその刺激を受けて、自らの中にある宇宙観に目覚めていくことを促します。生命である限り、誰の中にもその宇宙観があります。なぜなら我々はその宇宙の中の一部だからです。
そこにチューニングできるかどうか。そのために自らの脳の構造のどの部分に意識を合わせ、使うか、というだけのことなのです。

今日、ケア滞在中のNくんに話をしましたが、病気を改善するためには自らと向き合うことが大切で、まずはそれにふさわしい環境を与えられてアドバイスを受け取りながら進んでいけばいいのです。しかしその次に、どう人生を生きていくかという段階になったら、自立して、自らの意志で考え選択していく必要があります。それをしないと、ここにいる間は病気が良くなっても、環境が変わればまた元へ戻ってしまうのです。
自立して考えるべきだという点では、プーチン大統領の言っていることと一致しています。

あわちゃん:
おもしろいのは、僕たちが今やろうとしている自立というのは、プーチンさんが言う自立とはたぶん違うんじゃないかということ。時代が切り替わる時に、僕たちは今ここで瞬間瞬間次の世界を創り出していて、真の自立というのも、今自分たちが思っているものを手放した結果あるものだから、そういう意味で誰も知らない、新しい自立というのがあるんじゃないか。プーチンさんが言っているのは既存の自立で、間違ってはいないけれど、そのさらに先の世界があるんじゃないかと思うんです。

いさどん:
本当の自立というのは、目覚めた者たちがネットワークしていくことであり、それは実はものすごく古い話です。宇宙が始まって以来、すべてのものが個性を与えられながらネットワークしていくことで宇宙ができてきたのですから。そこには絶対なる中心がいて、絶対なる端っこがいるのですが、そのどちらも平等に主役なのです。
神様が「自分がこの世界の中心だ!」と言っていばったとしても、周りに「そうですね」というものたちがいなければ神様もしょげちゃいますよ。例えば口が「これが俺だ!」といばったとして、じゃあそこで一人でしゃべってなさいと言って口だけ取り出して入れ歯みたいにその辺でしゃべっていてもしょうがないでしょう。(みんな:笑)やはり手があり、足りなくても髪の毛があり(みんな:爆笑)、みんなつながって全体でバランスが取れているから口がしゃべれるのであって、口も全体を代表してしゃべっているのです。つまり全細胞がそう思うから、口が代表してしゃべっているということですよ。その全細胞を意識するということです。そうしたら、足の爪のアカだって、水虫だって、全部同じ気持ちになるんじゃないですか!(みんな:拍手!)

ともこ:
そうだよね。ロシアだってアメリカだって同じ体の一部なんだよね。

いさどん:
そう。いがみ合っていること自体が幼稚なのです。人類が宇宙視点に立つスタートの年は始まっているのですよ!

ようこ:
3日間ここに滞在して今日帰った(アメリカ人の)エリーは、7年間ライム病に苦しんでいたそうです。それが日本に来て、さらに木の花に来たら症状がどんどん改善してきたと言っていました。それだけではなく、ここにいると天からのビジョンがどんどん降りてくる、とも話していました。ロシアやアメリカの話があったけれど、もしここが木の花国という国だったら、ここに来れば人の病は治るわ天からの叡智は降りて来るわで、ある機関からしたらこんなに脅威の存在はないよね。

いさどん:
こういった存在が台頭してくることを脅威に思う機関があったとしても、その機関が時代を止めることはできません。昔ユダヤの民が台頭したのも時代の流れなら、今の動きも時代の流れで、誰も止めることはできないのです。古いものに執着していては、その流れにサッと乗ることはできません。
これまでの世の中をリードしてきた政治でも経済でもテクノロジーでも、どれだけ良い国を創ろうとしてやってきたものであったとしても、時代が変わる時には古くなるのです。それを読み、サッと捨てていく、その潔さが今最も求められています。そういった心を所有しない姿勢が、新たに来る宇宙時代を生きる人類には必要となるのです。