生きるということは、感謝、感謝、感謝です ~ 2022年収穫感謝祭より

木の花ファミリーでは、毎年一年の締めくくりに、その年の恵みに感謝を捧げる「収穫感謝祭」が行われます。今年の収穫感謝祭で、ジジは「感謝」について以下のように語りました。


今日は、1年の締め括りとなる収穫感謝祭です。

そもそも、「感謝祭」とは、感謝をすることです。今の人たちは、いろいろなことに感謝をします。しかしその前に、感謝を叶えるために、要求をするのです。
自分の欲しいものをもらえたら、感謝する。昨日はクリスマスでしたが、あれが欲しい、これが欲しいとお願いをして、その願いが叶えられたら「ありがとう」と言う。「ありがとう」も感謝の心ですね。ただ、そのように自分の願いが叶えられて感謝するのは、本当はその心に魂が入っていないのです。

我々は肉体を持って生きていますが、肉体が生きているわけではありません。肉体に魂が入って初めて、自分の個性的な日常が続くのです。日常が続いていく中で、その肉体の中にどんな魂が入っているのかによって、それぞれ個性的な人生があるのです。その個性的な人間の人生が、今、極めて怪しい状態になっています。それは、欲望の虜になり、自分の願いが叶えば「ありがたい」と言う人たちが増えてきたということです。地球上にはたくさんの命がありますが、それが人間の特徴になってしまいました。そしてそれによって、人間は感謝というものを忘れてしまいました。

人間は、創意工夫することによって様々な技術を発展させ、テクノロジーを進化させることにより、自分たちの願いを叶えてきました。それは良いことですが、自分の願いが叶うとどうなるかというと、次の願いを叶えたい、という心が湧きます。もしくは、叶ったことが当たり前になり、それがあるのが当然という世界ができていくのです。これは意外と簡単なカラクリなのですが、現代人はそのことを極めてわかっていない状態で社会を創ってきました。

ですから、このような一年の節目を迎えた時に、ここでは「本当はどうだったのだろう」ということを振り返ります。今、『愛とお米があればいい』という歌が、舞と共に歌われました。お米は、この地球上で最も優れた食べ物と言われています。面積あたりの収穫量が最も多く、栄養も豊富です。その最も大切な食べ物と、その前に、食べ物ではなく「愛」があればいいと言う。愛とは何かと言うと、絆です。それは、人に対する思いやり、自分と人を同じに思うことです。

そうすると、「感謝」とは何でしょうか。今の世の中にある感謝は、自分が先に願いを持って、それが叶うと「ありがとう」と言う感謝です。
この世界には元々法則があり、その下に、私たちはこの世界に降ろされました。太陽を頂き、雨を頂き、風を頂き、大地を頂き、太陽のエネルギーと空気によって生命の循環が起こり、その中で私たちは命を与えられています。ということは、それがないと生きていけない仕組みの中にあるのです。
しかし、今の人間はそのことをまったく考えません。ですから今、そういったことをまったく忘れた社会ができたことによって、こんなにも発展して豊かになったはずなのに、混乱がたくさん起きています。それはメッセージなのですが、その混乱をどうするのかというと、賢い人間たちは創意工夫して技術革新によって解決していくのです。解決すると、それよりもさらに大きな問題が起きるようになっています。まるでこの世界から意地悪をされているようですね。今、人間が創っている社会とこの世界の関係は、そのようになっているのです。何故かというと、そこに人々の感謝がないからです。

本当の感謝とは、既にあるものに生かされている、そのことに感謝できた時に、それは本当の感謝となります。生きることのすべては、それがベースでなくてはなりません。
幸いなことに、私たちはこの生活を始めて29年目であり、来年は30年目に入ります。30年は、天体で言うと土星の1周のサイクルです。それは人間の人生にとっても大きな節目となるサイクルです。生まれてからの30年間は、自らの人間性を様々な形で表現し、自分が何者であるのかを体現する期間です。そして自分が何者であるのかを知った後で、それでは、その自分を使ってこれからどう生きるのか、というのが、次の30年間です。そうして60年を生きた結果を元にして、これからどのような終末を迎えるのかというのが次の30年間で、合わせて90年でほぼ人生を終わります。そのように、節目節目に、それまで歩んできたことの意味をよく知って、そしてその意味にふさわしい生き方をする。それが、魂が入っているということです。

そこでの自らの歩みを振り返ると、生かされていることばかりです。人間はいつの間にか、自分の力で生きているとか、何かを獲得することを当たり前に思うようになりました。しかし、今自分がこうしてここにいるのは当然だ、ということは、本当は無いのです。すべて、毎日、瞬間瞬間を頂いているばかりで、つまり生きるということは、感謝、感謝、感謝なのです。

『愛とお米があればいい』とは、一番のシンプルな食べ物と、そこに愛のふりかけがあったなら、人はそれだけで幸せに生きられるものなのです。しかし実際には、それ以上に、山のようにたくさんあるでしょう?挙げたら切りがないほど、今の人間たちはたくさんのものを持っています。ここにも様々な供物が祭壇に供えられていますが、こんなにたくさんのものを、私たちは自然から与えられているのです。電力でも、スマホでも、挙げ始めたら切りがないくらい、たくさんのものを与えられている。こんなにも溢れているのに感謝のない世の中が、行き詰まるのは当然のことでしょう。

2012年12月21日の銀河の冬至から、今年2022年12月22日の冬至をもって10年が経ち、「統合」を迎えました。こういった、本当を生きること。それは、誰かが音頭をとって「こうしよう」と言うのではなく、一人ひとりが、自らが生きることの本当の意味を知り、魂が入った悟りをもって、本当の感謝で毎日を生き、命を繋いでいく。そうすると、周りにいい流れが生まれます。出来事がとても順調に進み、いい毎日だね、と言って、みんなが仲良く、感謝し、良い日々を送れるようになります。この世界は、我々にそういった約束を与えてくれているのです。それは間違いのないことです。

感謝のない世の中では、始めは無かったものがいつの間にか有るのが当たり前になり、それが無くなった時に「自分のものを失った」と傲慢になるのです。今日は一年の区切りとして、ここでは収穫感謝祭を迎え、たくさんの供物がお供えしてあります。それは、太陽が恵みとして自然から私たちに与えてくれたものですが、与えられたものへの感謝だけでは、これまでの人々が表現してきた浅い感謝です。これからの感謝とは、ここに在ること。不思議でしょう?時間は、未来にしかいきません。過去には戻れない。しかし、過去の経験を繋いで、未来に生かすことができる。そのような世界を、一体誰が創ったのでしょう?

天体はものすごく大きくて、私たちにはまったく縁が無いようですが、実は、太陽の作用、月の作用、惑星の作用、銀河の作用、我々にはまったく関係のないように思える無数の星々が、ここにこういった世界をもたらしてくれているのです。
もう一つ、二つ、深いところで、一体全体この世界は何であるのかということを考え、そしてそういった深い恵みを頂いていることに対し、改めて感謝する時代が来なければならないと思います。そういったことを、これからも皆さんと共に深めていきたい。その段階に、ここも入りました。なぜなら、この地球の人間社会がそれを失ってしまい、これから本当にそれが必要な時代が来る、その先駆けとしてここがあるからです。
ですから、一人ひとりがその自覚を持って、これからやっていきましょう。誰の中にも、愛と絆の芽はあります。それを芽吹かせ、周りが良くなり、その中で自らも良い人生、価値ある人生を生きることが大切だと思うのです。

今の世の中は、自分のことばかりでしょう?そして格差が生まれ、対立が生まれ、そんな中でどうして、自分だけが良くなることができるでしょう?みんなが良くなるからこそ、自分も良くなる。それが本当の人間の立つべき立ち位置です。

今日も、明日も、明後日も、そのことをみんなと深めていきたいと思います。感謝です。ありがとうございます。

 


人間が本当に進化するために

僕は30歳の時に、お釈迦様に出会いました。
30歳の12月26日に、ふと気が付くと、頭の上に黒い男の人の姿がありました。それは、お釈迦様でした。以来9年間、僕はお釈迦様から心の学びを頂いてきました。

最初の2年間は、泣いて暮らしました。それは自分を否定していく道だったからです。自分の中に、ああしたい、こうしたい、という自我の欲求が湧いてくる。でもお釈迦様が説かれることの方が、自分の中から湧き出す思いよりもはるかに優れている。ならばその優れた方を選ぶしかない。
そうして自分の思いを否定していくうちに、まるで自分が消えて無くなってしまうかのような淋しさに苛まれ、そのように未熟な自分が情けなくて涙を流し、それでもその自らの思いを超える、より優れた方、より道理の通った方を選び、歩み続けました。
そして9年が過ぎたある日、お釈迦様は「私の役割は終わりました」と、僕のもとを去られました。その時僕は、自分はまだ未熟であなた無しでは歩むことができません、行かないでくださいと懇願しましたが、お釈迦様は「あなたは十分に育っています。歩んでみなさい。歩めるから」と言い、天へ昇っていかれました。そう言われたら、自らの思いを否定し、その命に従うのが僕の常の姿勢です。ならば私は歩みます、と心に決め、自分はもう霊的な存在と対話することはないのだろうと思っていると、その直後に、日の本の神様が現れ「これからは我がそなたを守護する」と言われたのです。

*ジイジの霊的な歩みについては、「木の花記~金神様の巻」でご紹介していますので、より詳しく知りたい方はそちらをご覧ください。

その後、僕を守護する神様は七度替わられました。そして最後に現れたのが、「あってあるもの、なきてなきもの」です。
日の本の神様に出会ってからの1年間、僕は神界というものの多様性を学んできました。そしてある時、故郷の氏神様である滝神社の262段の階段を降り、実家に向かって歩き出したところで、上に何ものかがいることに気付きました。その日は快晴で、空は高く澄み渡っていました。僕はその何ものかに向かい、「どなた様ですか」と尋ねました。神々様には皆名前が付いていたので、僕は新しい神様に出会う度に名前を聞くことが癖になっていたのです。しかしその上にいる何ものかは、何も答えませんでした。そこで僕はもう一度「どなた様ですか?」と尋ねました。するとその存在からは、こう返事が返ってきたのです。
「名などない。」
僕は、困ったなと思いました。名のない存在をどのように認識したらいいのだろう?そう思っていると、その存在からは続けてこう返ってきました。
「我は、あってあるもの、なきてなきもの。」
そう言われても、僕にはさっぱり意味が分かりませんでした。その時僕は40歳か41歳。富士山麓へ移住する前のことです。

その後富士山麓で木の花ファミリーを創立し、人々の心の目覚めを促す活動を続けながら、その暮らしは常に「あってあるもの、なきてなきもの」と共にありました。そして19年が過ぎたある時、縁あってカタカムナに出会いました。そこで「ある世界」と「ない世界」という、この世界の構造を解き明かす概念に出会った時に、初めて「あってあるもの、なきてなきもの」が何であるかの裏付けを得たのです。
この世界は「カタチサキ」、つまり、物理的肉体を持って現象世界を生きる私たちは、まず物理性であるカタチから物事を認識します。それが「あってあるもの」です。そしてその奥に、その物理的現象世界を成り立たせる、根源的な世界が存在します。それが「なきてなきもの」の座する場です。
カタカムナに出会い、僕は初めて、あの時自分のもとに現れた存在は宇宙の実体そのものだったのだということを理解しました。それは、人間のように名を持ち、特定の意志表示をするものではなく、この世界の全て ——— 「ある世界」だけでなく、その奥にある「ない世界」までも含めた、この世界の実体を示されたのです。

出会った時にはさっぱり意味が分からなくても、分からないからと否定するのではなく、そのままを頂いて、歩んでいくと、その歩んでいった先に解答が出ます。そしてこの姿勢は、行き詰った現代の物理学を新しい世界へと導きます。
現代科学は、物理的な現象をもって証明できることだけを真実とする、現象一辺倒の世界です。しかし、現象だけでは解決できないのがこの世界です。私たちは一人ひとりにそれぞれのオーラがあり、響きがあります。そして心があります。そういったことをどう捉えるのか。科学の世界の人々も、アインシュタインがそうであったように気付いてはいるのですが、結局は物理的に立証できることだけを真実としなければ、怪しい世界がいくらでも広がって秩序が取れないのです。
だからこそ、もっと広い世界から、世界の実体を捉える必要があります。対向発生という仕組みから世界を捉えていけば、もっとこの世界の成り立ちが理解できるはずです。しかし、広い世界ではなく、自分の見えるところから探求していくと、自分が見えること、自分が理解できることのみを真実としてしまうのです。そうすると、限界が生まれます。自分の度量によって見える世界は違ってくるのに、見えないものを無しにしてしまったら、その先へ進むことはできないのです。

多くの人は、自らの心のキャパシティを超えるものを認めない傾向があります。そうすると、人間が進化しません。物理化学の世界は、その分野としては進化したかもしれませんが、人間の本当の進化を妨げています。そういったことを、物理化学の世界の人々は、理解しなければなりません。
自らの価値観を取り払うことによって、新たな価値観が入ってきます。排泄せずに、食べ続けることができますか?息を吐かずに、吸い続けることができますか?それと同じことです。
この当たり前の事実が通用しないのが現代の世の中です。それが人間の限界を作っています。人間がその自我の枠を越えた時に、本当の進化が始まるのです。

 


みんなが仲良く暮らしてくれれば、それで良い ~ ジジからの遺言

ある日、ゲストの方が「ジジに聞きたいことがある」ということで、話をする時間が持たれました。それは、インターネット上に木の花ファミリーについての良くない情報が流れていることについて、今後自分がファミリーのプロジェクトに関わっていく上で、そういったことに関しても何らかの形で責任を取る必要があるので、確認をしたいというものでした。
これに対してジジは、次のように話しました。


今、あなたがここに来て、実際に感じていることが真実です。
ネットの世界は、情報が一度解き放たれたら、それが削除されない限り、ずっとそこに残り続けます。そして、人を貶めるような情報の方が圧倒的に人々の興味のネタになります。そこで、私たちの側にある真実を反論として訴えましたが、その真実は捻じ曲げられた情報を修正するほどの力にはなりませんでした。当時ここには、表面的な興味で訪れる人々がたくさん来ていて、とても多忙で我々の本来の目的とは違う方向性の日常が展開されていたのですが、そのことがきっかけとなり、訪問者やマスコミの取材が減って充実した毎日を送れるようになったので、そういった意味では強がりではなく正解だったという思いもあります。
真実がどこにあるかは、実際にここへ来てみたらわかるでしょう。残念ながら、来てみて感じる前にネットだけで結論を出す人が多いのですが、真実は一つです。ですから、そういった情報を流して結論付けている人たちやネット社会には、いずれ問題が起こるでしょう。今の環境問題やエネルギー問題然り、核爆弾が使用されるかもしれない、そんな見通しが立たない世界において、私たちが提唱している理想社会はもうちょっと先にあります。そういった新たな社会を創造するための芽が出ないといけません。それに対し、8人娘以降の若い人達はとても明快です。
ですからこのプロジェクトは、あなた達に対してお願いしますとか、大いに期待していますというものではありません。それは時代が答えを出すのですから、人間の思惑で行うことではないのです。ただ、そういったことを考えた時に、この動きはとても重要だよ、と言って促しているだけなのです。


その翌朝、ジジは自らの中に湧いてきたイメージを言葉にしました。


ジジ:
これは、今の僕の総合的な心境ですが、それは僕の考えというよりも、ここの人たちみんなが歩んでいく方向性を示すものですから、このことをみんなに共有し、みんなの中にその意識を再確認するべきことだと思います。

こういった指針を示すことは、僕の遺言として残すようなことでもあります。それは、僕が亡くなった後に、みんなが仲良く暮らしてくれればそれで良い。内容については、極端なことを言えば何でも良い、ということです。

みんなが仲良く暮らす暮らしが出来上がって、外に発信するようになると、現代人はそういった理想的なことは宗教のような固定されたものに汚染された者達がやっていると観るのですが、それは今までの事例が悪かったからです。つまり、今の我々の世代がベースを作ってそれを子どもたちに渡した時に、我々の世代が作った垢も、次の世代に引き継がれてきたということです。
そうした流れはなるべく払しょくしたいものですが、世の中がそういった体質から脱していない段階で、例えば8人娘が新たな社会的取り組みを展開しても、穿った見方をする人はいくらでもいます。世間は、一度物事に色を付けて見ると、その真実がどうであるかを確認することなしに、これはこういうものだと固定して捉えてきました。この取り組みを、そういった過去からの囚われを払しょくする機会とし、今の真実の見えない人間社会の在り方を根本からひっくり返し、人間の活動がこの星の上で有益なものとなるための第一歩となれば良いと思います。

僕はあくまでも土台を築く者であり、それが社会から支持される段階になるのは次の世代においてだと言われています。ですから、僕が旅立つまでのあと10年弱の間に、そのベースとなる思いをしっかりみんなに伝えていきます。そしてそれを、次の世代の人たちがいよいよ現実に示していくのですから、現時点で世の中の無理解な目があるのは当然です。
一つ確かなのは、2012年12月21日に銀河の冬至を越えた今、その前と後とでは環境が大きく異なっていることです。銀河の冬至以前は闇が増していく時代でしたが、闇のピークである銀河の冬至を越え、光が差してくる時代に入りました。光が差してくるということは、それまで闇に紛れて観えなかった様々な問題が照らし出されて見えてくる、つまり、真実が明らかになる時代に入ったということです。ですから、これから、その新たな取り組みが本当に社会を改革するために必要であるということを理解するための興味を、世の中が持ち始めるでしょう。

そのように大切な動きに対して、いつも影のようにのしかかってくるのが、ネットに氾濫している情報です。それが何なのかというと、今も誰かが頑張って反対運動をしてその情報を発信し続けているわけではありません。それは過去に放たれたものでありながら、世の中にはびこり続ける有害なスモッグのようなものです。そのスモッグによって、世間は大事なものが観えなくなっています。
そのような中で、このプロジェクトは、野心を持って何かを成し遂げようとするものではありません。自らの野心で事を成すのではなく、そういった曇りが自然と取れていく流れが来ることを待っています。つまり、人の目が曇っている状態では、嘘を帯びた情報の方が大いに人々の興味をそそり、魅力的で、支持を得ます。そういった時代にあって、それを取り除いて本物を見せようとすることは、実は無意味な努力なのです。

私たちは、この重要な取り組みを、「新たな事業を起こしてお金儲けするぞ」というような野心でやるわけではありません。ただし、世の中の見本になるためには、経営的にも帳面が合うことは大切ですから、そこはきっちりとやる必要があります。そうして野心のないところで続けながら、次の時代を迎え、自然にその雲が晴れていく時が来るでしょう。そのように考えると、気にすることは何もありません。理解できない者に理解しろと言うことの方が、無意味で馬鹿馬鹿しい努力なのですから。そして世の中の流れを観れば、この分析の方がはるかに流れに沿っている。時が来れば、社会も自然とこの流れに沿っていくようになり、ネットの情報も自然に取れる流れが来るでしょう。その流れが来ないのに、コイコイコイ、と言って来るのは池の鯉だけです。(チーン♪)

今ここで、僕とピピとゆうこという3人の人が語り合っています。この関係には、濁りが全くありません。僕たちは、個々の立ち位置から自己主張をしないでしょう?それは自分のカルマを通して物事を見るのではなく、そのままを観て、そのままを受け取る関係だからです。
こういった人と人との関係は、現代の人々にはなかなか難しい、とても珍しいことです。互いが発するものを誠意ある正直な心で受け取り、誠意ある正直な心で返すということを徹底しなければ、そういった汚れのない関係には至りません。ここまでの信頼関係を築けたということは、とても価値のあることです。人間が本当にそのような関係で地球上に社会を築けたなら、他の生き物からも歓迎される社会を私たちは創ることができるでしょう。

僕は、そういった夢見がちなことをいつも思っています。夢見がち、というのは、あまりにも現実がそこから遠いからです。ここ全体の在り方も未だ十分とは言えませんが、それをみんなで実現したい。そのことを示すためにも、このプロジェクトの立ち上げを提案しました。
僕は、キックオフミーティングに参加した二人のゲストにも山ほど伝えたいことがありますし、伝えようと思ったらいくらでも情報は出てきます。彼らは、ここの世界観についてのプレゼンテーションを是非受けたいと言っていました。本当にこのことの意味が理解できたら、支援するというよりも、自らの活動としてこれに参加すべきです。それは、人生を生きる上で最優先にするべきことなのですから。

ピピ:
今までの時代と違って、8人娘は応援される世代だと思います。彼女たちの人柄を見てもそう思うし、実際にかき氷処木の花庵のスタッフとして働く彼女たちはお客さんからも評判がよく、応援したいという声が多かったです。

ジジ:
僕が口を出さなくても、良い集まりが出来るといいですね。僕は有名人になることを望んでいません。僕は自分の口から出てくる話を受けて、とても共感し、その通りに生きていく人なのですが、それを他者から評価してほしいとは思っていません。もしも評価が広まっていくと、忙しくなって困るからです。ですから、みんながここに集うきっかけは僕の話だったかもしれませんが、みんながそれを自分のものにしてくれればいいのです。それはとても大事なことで、ジイジがアレンジすることで仲が良い場所ができるようなことでは困ります。ある人がいなくても、誰と誰との組み合わせであっても、仲の良い場所であることが大切なのです。

キックオフミーティングに参加したゲストの人たちに、今の僕の内面を語るとしたら、どれくらいのエネルギーと時間がかかることでしょう。彼ら自身がその重要性に気付き、自ら掘り進んでいってもらわないことには、語り切れません。こちらがいくらその人に分かるように分かるようにと説明したとしても、みんなが自らの自我の枠の中でそれを解釈しているようなレベルの目覚めでは、結局は僕が描いているレベルのことではないということです。
ですから、僕がいないところでそれを達成することができたら、それはみんなの力です。それができたら、本物です。今後このプロジェクトが進んでいく中で、僕はだんだん手を引いていくのが良いと思っています。特に、8人娘以下の人たちに自覚ができてくれば、事は自然に動いていくでしょう。前の世代の人たちも、新しい世代に刺激を受けながら、自覚を持って共に実行していけば良いと思います。
自分から率先して、全体に溶けていくような心になる。そうすると、個性がみんなのために活かされる。個性をみんなのために活かしていくことが、どんなに自分にとって良い事なのかに、気付けば良いのです。
そういう空気の下に全体が一つの生き物のようになって動き出したら、僕はもう、何も注文はありません。何をやったっていい。人間が地球上で生きていくことの結果が、他の生命に害をもたらさないものとなるように、現代人の生き方が正されたなら、あとはみんなに託すだけで何も言うことはないのです。世界には巨大な渦が渦巻いて、こんなにも分かり合えない世界を創ってしまいました。それではだめでしょう、と言いたいだけなのです。

僕が願っていることは、ただみんなが仲良く暮らせば良い、ということです。
それは、ただここの人たちが仲良く暮らせば良いということではなく、もっと大きく、地球にみんなの仲良い暮らしがあれば良い、ということです。
それがいつか成っていくことを夢見て、自分の人生を終わりにしようと思っています。それだけです。僕はそのために自らの存在を使い、みんなが喜んでいる調和の世界が見たいだけなのです。

それ以上に、何があるというのでしょう?

 

 


収穫の時代 〜 私たちは、何のために生まれて来たのか

木の花ファミリーでは、毎年12月に一年の恵みへの感謝を込めて「収穫感謝祭」を行います。以下、2021年収穫感謝祭でのジイジのお話をご紹介します。


今年も一年の農の締めくくりとして、収穫感謝祭を迎えました。ここに、今年一年の活動の証として供物が供えてあります。これはどこから生まれてきたかというと、太陽がもたらしたものです。そして、太陽が一方的に与えてくれたのではなく、地球の生命活動、地・水・火・風・空から始まる、植物、動物、そういったものの調和の延長にもたらしてくれたものであります。そういった仕組みを私たちは、毎日糧として頂き、一年を生きてきました。

本来、命が生きるとは、太陽の恵みを地上に頂き、それを受け、様々な自然活動がそこに働きを持って貢献していく。そして、我々命の代表である人間や動植物がその恵みを頂くことであり、収穫することは、取るということではないのです。ですから、生きるという事は頂くという事であり、頂くという事は謙虚な心から生まれる姿勢なのです。そういった土に近い生き方をしながら、土から恵みを頂くという事は、本当は生きるものの原点であり、人間はその極めて代表的なものでなくてはいけません。

食べ物を頂く以外に、今年は二つの新しい命(仲間)を頂きました。それから、農作業などをして、その収穫物を食べたり、それを販売し生業とする様々な生き方の中で、新しい知恵も頂きました。そのように時が過ぎて行く中で、人間はどんどん賢くなり、本来この世界に豊かさをもたらさなければならないものです。しかし、人間がこうしたいああしたいと思うとついつい自分の都合ばかりを考えるように、我々の活動も色々な問題に出会うことがあります。さらに、ここ木の花ファミリーの活動にだけではなく、日本にも世界にも、コロナウイルスを始め、環境の悪化、不健全な社会情勢など、地球規模の矛盾が沢山起き、私たちは農をベースとして生きるものとして、順風満帆な一年を過ごしてきたわけではありません。しかし、その順風満帆でない事を通して、小さく自らのエリアを通し、その姿勢、心の在り方を振り返り、どうしてそうなったのか、そして大きく国レベル、地球レベルで人類としてどうであったのかという事を、振り返り、学習し、次の時代に繋げていくべきことなど、そういった学びも頂きました。

今朝、ニュースを見ていました。すると、世界各国の生産額GDPは落ちているにも関わらず、株価が高騰し金融システムではお金は余っている。その中で、コロナ禍の生活の延長にゲーム産業が最も伸びている。こういったお金の仕組み、ゲームの仕組み、たくさんの産業という『業』の付く生き方があり、その中でも土に縁のない生き方が、お金や物の浪費という豊かさをもたらしています。そのように、今の時代が出来ている事がよく解ります。私たちは、農業ではなく、命を頂くとして、生きていますが、その活動は金銭的には生産性が低いのです。しかし、そういった『業』とつく産業が生み出すお金の世界の全ては、農業を始めとして、医療業界から様々な分野において人々が欲深な生き方をすることで、それが地球規模の問題を今、生み出しています。そういった地球規模の問題は、これから更に激しくなっていく事は確実です。

もう一つ、先ほどここへ来る前、着替える合間にテレビを見ましたが、夕べ、アメリカのいくつかの州に大きな竜巻が発生し、今のところ70名ほどの人が亡くなったそうです。全体像がまだ見えていないので、100名以上亡くなっている可能性もあります。アメリカのバイデン大統領は、この事を竜巻の災害では過去最大のものであると語っていました。これも何かしら自然が人間の行いに対してメッセージを送っているのではないかと思います。これから一年も経てば、また収穫の時期を迎えますが、収穫というのは都合のいいものだけを頂くだけではいけないのではないかと思うのです。いろいろな問題事を頂いて、厳しい時代に、そのことで何が与えられているかという事であり、恵みではなく、問題事を頂いたという事は、襟を正せという事です。ところが、問題事を頂いても、自らの襟を正すのではなく、自らの能力を使って回避し、乗り越えて、今までと同じ生き方をしようという人間たちが現れました。これは、人間の能力の高さでもあります。しかしながら、人間がこの姿勢を取り続けていると、問題ごとを通して全てそうですが、その姿勢を正すまで自然や天は、繰り返し繰り返し、私たちにその反省を促す為に問題事を与えます。それが今この時代に、究極の示しとして現象が現れているという事ではないかと考えるわけです。こういった捉え方をする人々が世界中にどれだけいるかと考えると、今はまだ皆無に近いですね。

世界を代表するアメリカと中国は今、いがみ合っています。そこに国家の利権を最優先するロシアがウクライナに侵攻しようとし、それに対してアメリカがNOという。その企みが上手く行けば、中国が台湾に侵攻する口実になるとも言われています。丁度80年前に起きた太平洋戦争は、日本が真珠湾を攻撃した1941年12月8日に始まりました。それから80年経ったのですが、今とてもきな臭いムードが地球上に漂っています。21世紀に入り既に21年経っていますが、そんな状態の人間の姿勢を考えると、とても愚かしい姿が観えてきます。

私たちは、今日の収穫感謝祭を、収穫を頂いてありがたい、自分たちが生きていければいい、という事ではなく、そろそろ自分たちの襟を正して振り返り、人間の地球に対する横暴を正しくしていくことにつなげることではないでしょうか。今までは、拡大の時代でしたから、欲望の延長にただ便利がいいように、ただ物が豊富である豊かさが求められてきましたが、これからは量より質を考えなければいけない。生き方というのも、自らの生き方が自らに幸せをもたらすのは当然ですが、同時に社会やこの世界の仕組みに則って社会が豊かになっていかなければいけない。社会だけでなく、地球が歓迎する豊かさの追求をしていかなければならないのです。それが、このようにテクノロジーを使い、不必要なまでの利便性の追求と、異様なまでに溢れる物と、それがいずれゴミを生み出す現状は、そういった様々な問題が溢れこの時代を運営してきた人間の責任であるのです。その役割を果たせた時に初めて、人間は高い意識の秩序をもたらすものであるという事が表現できるのです。様々な問題を収穫する時代が来ました。良い事も悪い事も収穫する。良い事は感謝すればいいが、悪い事は感謝の前に何故それをいただいたのかという振り返りをし、そしてそれをもたらした人間性を改め、自らの価値が上がるための本当の意味での心からの感謝をしなければいけないという事です。

その為に、私たちは何をしなければならないのか。昨夜、みんなで映画(ラーヤと龍の王国)を観ましたが、あの映画の中で争っている人々が融和し優れた社会を創る為には、互いを信じあう事こそが最も求められることでありました。そして、互いに信じあう為には、正直である事。何でも語り、何でも語れる、何でも聞き、何でも伝える、共に生きていくという事をしたら、その姿は地球の命の仕組みですね。そういった事をもう一度人間は、自分たちが最も優れているという、おごった立ち位置にいつまでもいないで、正しく受け取り、尊い者となり、他の生き物の為に生きる。そして、人間たちが本来地球に降ろされた意味を表現する。その価値を取り戻す時代が来たからこそ、この厳しい時代が始まっているのではないかと思うのです。

日々、こんな事を考えながら365日経つとまた、来年も収穫感謝祭が来ます。ここにお供えしてある供物はこの時期ですからだいたい似たようなものが、毎年お供えしてありますが、それは同じものではないですね。これは数か月前までは土だった、あるいは、数か月前までは施肥として私たちがそこへ入れた栄養だった。さらにその前は成長の過程では空気だったり、水だったりしました。様々なものが変化してここへ至っているという事は、天地一体、地球の大調和の働き、流れだけでなく、天体の動きが、こういった大いなる動きをもたらしている。ですから、私たちは宇宙を生きる者として生まれてきました。

丁度今、日本の民間人として初めて宇宙へ行っている人がいます。宇宙ステーションから、人の欲望をくすぐり、人の気をひくような事を言っていますが、お金でも何でも、心が貧しい者が持つと本当に無意味な貧しいことに使います。それはお金の事だけでなく、すべてのものが豊かになるという事は、心が豊かであるという事が先に優先されないと、正しく世の中のために使われるという事にはなりません。

年々、生きるという事は感慨深くなっています。一年を通して深い学びを頂く。その一番は、人の価値を収穫する事です。そうやってみんなで、その価値を収穫する為に生きる。生きていないとその価値を収穫できません。肉体を頂いてその心を健康に運営していないと、その価値は積み重なりません。

この生のサイクルが終わると、自分を積み重ねるという事は次に生まれてくるまではありません。今は命を頂いた体があるからこそ、時と共に人生があり、色々な事に出会う事によって、自分の価値を積み重ねるという仕組みになっているのです。

この道理をいつも念頭において、日々、一年365日、クリスマスや正月、自分の誕生日などいろいろな記念日がありますが、毎日、朝を迎え、夜を迎え、その都度、瞬間瞬間に、自分たちは一体何のために生きているのかを意識し、スケールの大きな心で生きていきたいものです。

そういった自覚ある一年を生きる為に、こういった記念日があるのではないかと思います。自覚を持って一年を送ってもらいたい。そうすれば、この頂く人生は、心の成長としてその人の価値を付けるものとなる。この価値だけが死んでからも持っていくものです。

その為に人生があるのだという事を今の人類に伝えられる見本が、ここで示せるのではないか。そんなに遠くなく世の中は完全に行き詰ります。その時に、ここにその見本があるという事が言えるように生きていきたいものだと思います。くれぐれもその事を一人ひとりの命題として自覚し、歩んで行ってもらいたいものだと思います。これは、誰かが誰かにお願いする事ではなく、自分が自分に言い聞かせ、この道を歩むことを選んだことの自覚として頂きたいと思います。という事でまた、この記念日では、一年後にお会いしましょう(笑)

ずっとこれをやっていきますから。馬鹿な事もいろいろ提案しますが、自分を捨て、空っぽにし、日々、365日マツリの精神で生きていきたいものだと思います。今日、そういった大事を理解し納得して生きていけるという事は、その境地に到達したという事で目出度い事です。収穫感謝祭、おめでとうございます。そして有難うございました。

ツイスト踊る?(笑) (ツイストには質的転換の意味があります)

みかちゃん:
それでは、心を収穫するという事が一番大事な事だと思いますので、みんなで歌いましょう。

 

※みんなで合唱した歌の歌詞を載せます☟

『♬この世界をつくっているのは』

蒔いた種を刈り取るのは一人ひとりの責任
みんなで蒔き続けた種が今もこの世界を創っている
心の中に色んな 想いの種をみんな抱えている
何もかも 誰かのせいにすることはできない

ならば

あなたはこの世界にどんな想いの種を蒔きますか
そしてこの世界にどんな花を咲かせますか

この世界をつくっているのは
この世界をつくっているのは
この世界をつくっているのは
この世界をつくっているのは

私たち ────

 


自分発、世の中を良くする人になって下さい ~ コロナワクチン接種の話から

木の花ファミリーでは、何か決めごとをする際に、常にみんなでその内容を共有し、全体の総意の下に物事を決定します。
現在、新型コロナウィルスのワクチン接種については、自身が媒体となって感染を拡大することを防ぐという社会的責任を果たす意味もあり、大人メンバーは全員がワクチンを接種することを決定し、順次接種を進めていますが、子ども達がどうするかについては保留となっていました。そんな中、同級生に感染者が発生した子どもから「ワクチンを接種したい」という声が上がり、ある日の子どもミーティング(毎晩夕食後に開かれる、子ども達がその日の出来事を大人を含めたみんなの前で発表する場)にて、改めて話をする時間が持たれました。
以下、その時のお話をご紹介します。


 

ジイジ:
今日は、みんなで大事なことを決定しなければなりません。そこでは、みんなの心が揃わないといけないですね。そこで今から、心が揃わないのはなぜか、という話をします。だから今日は、二つの話があります。

一つ目は、コロナワクチンのことです。ここでは、60歳以上の人はもうみんな2回接種しましたね。ジイジも2回打ちました。ワクチンを打ったからと言って、何か特別な症状があったわけではありません。60歳以下の人でも、ワクチンを打って何か症状が出た人はいますか?

まりねえ:
38℃の熱が出ました。

ジイジ:
それはまりねえちゃんの平熱だったりして。(みんな:笑)

みちよ:
私も平熱より2℃高い熱が出ました。

ジイジ:
それは、日頃のあなたの姿勢を見ていると、心が原因かもしれないね。とりあえず、そんなに大きな問題はなく接種が終わり、今は50代以下の人達が接種を進めています。

それで、今日の話は、20代より下の人達の接種をどうするかについてです。
ここでは、ジイジが話すことが決定ではありません。ジイジが話すことを強制する場ではないということです。ただ、大人については、基本的にみんな打つことにしました。それはなぜかと言うと、木の花ファミリーにはロータスランドというお店があり、たくさんの人が訪れます。そしてこの場所でも、こうしてたくさんの人たちが一緒に暮らしています。そこで感染者が一人出ると、クラスターとなって周りに広がっていく可能性があります。そして、こういう共同生活の場所で感染者を隔離することも、なかなか難しいのです。
ですから、そういった問題が起きないようにすること、そしてこのように大勢で暮らしている場所は特に気を付けなければならないという、社会的責任があることを考えました。みんなで共に生活する豊かな暮らしだからこそ、自分の家のためだけではなく、社会に対しても責任があるということを、大人達みんなで考えて、基本的には大人は全員ワクチンを打つことに決めました。ここまではわかるかな?

子ども達:
はーい!

ジイジ:
まずは大人が打ってみて、10代以下の人達については、どうするかを決めていませんでした。社会的責任という意味では大人よりちょっと軽いかな、でも大勢で暮らしているのだから打った方がいいのかな、と微妙なところです。
そこで、自分は打ってもいいと思っている人、打ちたくないと思っている人を確認したいと思います。正直に答えてください。打つか打たないかを決定するのか、それとも、それぞれのケースに合わせて対応するのかわかりませんが、まずはみんながどう思っているのかを確認したいと思います。打ってもいいと思う人!

(半数以上の子ども達が手を挙げる。)

ゆりか(中学生):
えー、注射痛いのに~。

子ども達:
そういう問題じゃないでしょ。

ジイジ:
じゃあ、やっぱりワクチンは打ちたくないなと思う人!

(数名が手を挙げる。)

ジイジ:
打ってもいいという人は、打ってもいいということだからとりあえず置いておいて、打ちたくないという人は、どういう理由があって打ちたくないのかな?

ゆうゆ(高校生):
「痛いから」っていうのは理由にならないからね。

ピッポ(小学2年年):
痛いからじゃなくて、ピッポはもともとコロナにはならないと思ってるから。

ジイジ:
なるほど、そういう理由ね。他には?はい、こうたろうくん。

こうたろう(小学1年生):
ワクチンを打つと動けなくなるから。

子ども達:
そんなことないから!

ジイジ:
それはどこで聞いたの?

こうたろう:
ようちゃん。

ジイジ:
じゃあ、ようちゃんは何を根拠にして、そういうことをこうたろうに伝えましたか?

ゆりか:
ワクチンを打ったら、痛くて腕が動かせなくなったってようちゃんが言ってたんだって。

ジイジ:
前に、ようちゃんは他の人にも、コロナワクチンを打つとみんな5年後に死ぬと言ってました。

子ども達:
えーっ!(笑)

ゆうとう(中学生):
それって、ただワクチンを打たせたくないだけじゃないの?

ジイジ:
もしもそうなら、5年後に日本はなくなるね。(みんな:笑)

ようちゃん(大人):
昨日ワクチンを打って、腕が上がらなくなったってこうたろうに言ったね。

ジイジ:
今も動かないの?

ようちゃん:
今日は大丈夫です。こうたろう、もう治ったからね。

ジイジ:
こうたろうは、この話を聞いてどう思いますか?

こうたろう:
腕が動かなくなったって。

ゆりか:
ずっと動かないわけじゃないんだよ。

ゆうとう:
動かないっていうか、腕が上がりにくいってことでしょ。

ジイジ:
こうたろうは、それを聞いたからワクチンを打ちたくないの?

こうたろう:
そう。

ジイジ:
今の話は、この後の話につながる話です。この話をよく覚えておいてください。
ようちゃんがこうたろうに伝えたことと、それを聞いてこうたろうが受け取ったことは、一緒だったのか、違っていたのか。そこにズレがあるかどうか。実際にようちゃんの中に、なるべくワクチンを打たせないような情報を流す意思があったのか。それとも、そんなつもりはなくて、ただちょっと腕が上がらくなっちゃったと言ったことが、こうたろうの中では「一生腕が動かない」という話になっていったのか。そこは重要なところです。
他にワクチンを打ちたくない人は、どんな理由がありますか?(子ども達がパッと答えないのを見て)あのね、「打ってもいい」という人は、打ってもいいわけだから、理由はどうであってもいいんだよ。だけど「打ちたくない」という人には、その理由を聞いて、それを尊重するべきかどうかをみんなで考える必要があるでしょう?

なり(中学生):
うちでは、ジイジが作ってくれたレンコンとか栄養のあるものを食べてるし、たぶん免疫力があると思うから、別にワクチンを打たなくてもいいと思った。

ジイジ:
うちのレンコンを食べるとコロナにかからないという理由は、どこから持ってきたの?

なり:
コロナにはかかるけど・・・(みんな:笑)

ジイジ:
あのね、大人たちが社会的責任としてワクチンを打とうと決めたのは、自分がかかるかかからないかではなく、かかった場合にそれを他の人にうつすことがあるから、その責任を考えようということで決めました。自分は免疫力があるから、かかっても大して重症化しないから大丈夫、ということだと、自分がかかって他の人にうつしてもいいという話になるんだよ。それについて、どう思う?

なり:
人にうつしたら、いろんな人が困るから、人にうつしていいということじゃない。自分一人だったらいいけど、他の人のことを考えたら、打った方がいいと思いました。

ジイジ:
ジイジは、打つ方向に誘導しているわけではなく、今の打たないことの理由について話してるんだよ。そういう理由の元にある心について、考えなきゃいけないねということです。
はい、他に打たないと言った人の理由は?

あまの(保育園児):
5年後に死んだらいやだから。

ジイジ:
そういう怪情報を流した人がいるんだよね。「それは違うでしょう」という話をしても、「えー、ようちゃんがそう言ってたよ」という噂がいろんな所へ広まっていくと、消しても消してもその情報が一人歩きしていくんだよ。これはすごく大事な話だよ。
はい、他の人はどうですか?

なお(中学生):
打ったら運動がしにくいということと、熱とかが出たらイヤだから。

ジイジ:
それは自分のためということ?さっき、なりに話したことについてはどう思う?

なお:
それだったら、打てばいいかな。

ジイジ:
だから、前の人の話をきちんと聞いておいて、後の人はそれを受けて「そういう理由があるのか、じゃあこうしよう」と繋げていかないと、いちいち同じ話を繰り返さなければならなくなるよ。前の話をしっかり聞いて、そこに自分を乗せていけば、話はとてもスムーズに進みます。これも後の話につながる話だよ。
他にはどうですか?はい、みのちゃん。

みの(高校生):
みのはどっちでもいいんだけど、できれば打ちたくなくて、理由はただ単に注射が苦手だから。あとは、病院に行くのがイヤなんだよね。

ジイジ:
なるほど。そういう個人的理由ね。
今はもうそういう段階ではなくなっていますが、ワクチン接種が始まった時に、まずはお年寄りから始めましょうということになったね。どうしてか知ってる?

子ども達:
重症化しやすいから!

ジイジ:
お年寄りが重症化しやすい理由として、基礎疾患と言って、高血圧や糖尿病など、もともと病気を持っている人が多いんだよ。そういった人は、コロナウィルスに感染すると重症化しやすい傾向があります。だからお年寄りから打つことになりましたが、まあ、少子高齢化ということから考えると、なるべくお年寄りには打たないで、高齢で病気の人から旅立っていただいた方が、国のためにはなるかもしれない。

バァズ(おばあちゃんメンバー)達:
たしかに!(笑)

ジイジ:
だけど日本はそういう国ではありません。命はなるべく長く生きた方がいい、その内容については問わない、という国ですから、高齢者から先にワクチンを打ってきました。
ところが、先日も、40歳でコロナに感染し重症化した男性の話がニュースで取り上げられていました。これまでは、30代や40代で感染しても重症化しないと言われていたのですが、最近はコロナウィルスも変異しています。変異ってわかるかな?人間がいろいろな勉強をして新しい取り組みをするのと同じように、ウィルスも、人間がワクチンを打ったりいろいろな対策をすると、そのワクチンが効かないようになったり、より感染しやすくなったりと変化していきます。人間は世界中でワクチンを打とうとしていますが、コロナウィルスもそれに対抗しようとしているのかはわかりませんが、ウィルスとはそういうものだということです。インフルエンザもどんどん変化して、前のワクチンが効かなくなっていくでしょう?
現代医療では多くの治療で抗生物質を使用しています。抗生物質は、体の中で悪さをするウィルスや菌を殺すものですが、これには問題もあって、悪い菌だけでなく、いい菌も殺してしまうのです。そして人間の体から、抵抗力を奪っていきます。それどころか、菌の方が抗生物質を学習し、抗生物質が効かない耐性菌がいろいろな所で広まっています。そして、近い将来に現代医療が機能しなくなる可能性があると言われています。ですから、世界は将来もっと不安定な状態になります。
その時に、さっきなりが言った話に繋がります。本当に薬が効かなくなった時に何ができるのかと言ったら、薬に頼るのではなく、自分が病気に対抗する力を持つことです。これを何と言いますか?

子ども達:
免疫力!

ジイジ:
レンコン力とか、葉っぱ力だね(笑)。自分の力で対抗して治っていく力を身に付けるということです。それは、ワクチンを打っても打たなくても、いつも心掛けておきたいことです。
幸いなことに、ここには免疫力を高めてくれる力を持った食べ物がたくさんあり、毎日食卓に出てきます。そして、それを買ってくれるお客さんのことも考えながら、大人は作物を作っています。それはとても大切なことです。
だけどもっと大切なのは、先ほどの話のように、何の根拠もない意味不明の噂が広まっていくことがあるでしょう?その時に、そういったよくわからない情報を聞いて、正しく判断できる力を身に付けることです。これを「心の免疫力」と言います。不確かな噂を聞いて「わあ、怖い」と自分の中でさらに膨らませていくと、意味なく自分や人を不安にさせていくことになります。これはとても重要なことです。それだけで人はパニックになっていくのです。実際に「注射が怖い」と言って、その気持ちだけで具合が悪くなってしまった人がいましたね。もっと冷静に、なぜこれが必要なのかということを考えることが大事なのです。意味不明なことを考え、さらに自分の中で膨らませていくと、さらに問題を引き起こす原因になります。

今、コロナワクチンは世界的に接種を進める傾向にあります。若い人達は免疫力があるから、お年寄りから進めようということになっていましたが、最近では若い人の中で感染が広がっています。NHKが取材した40歳の男性は、何も基礎疾患を持っていないのに感染して肺炎になり、2ヶ月間意識不明の状態だったそうです。その間、お医者さんはとても高度な機械を使って一生懸命治療を続けていました。その人は回復はしたものの、肺が潰れてしまい、今も苦しさが続いて、もう元のように運動をすることはできないそうです。お年寄りは後遺症が残っても、もうそんなに未来がありませんから(冗談です。笑)いいのですが、若い人はこれから未来があるのですから、後遺症が残ると大変です。これまで若い人達は、自分はかからないから大丈夫、と言っていましたが、そうではない状況になってきているということです。
これは、説得をしているのではありません。そういったことを考えた上で、今どうするべきかを考えるということです。ここの子ども達のワクチン接種をどうしようか、と聞かれても、ジイジが答えを出すことはできません。一人ひとりの考えを聞いて、そしてみんなで決定をしようと思いました。それがこの場所です。「自分はコロナにはかからないから打たない」という選択肢もあるでしょう。確かに、みんながかかるとは限りません。でも、かかってしまった時に、いろんなリスクがあるということです。

大人達は、みんな打とうということに決まりました。そこで、今度は大人の人達に聞きます。ここの子ども達はどうするのが良いかについて、大人達はどう考えますか。はい、ワクチンを打たなくてもいいと思う人。

(誰も手を挙げない。)

では、本人が打ちたくないという場合は、打たなくてもいいと思う人。

(21人が手を挙げる。)

打った方がいいと思う人。

(26人が手を挙げる。)

みかこ(大人):
どちらでもいいという人もいるね。

ジイジ:
これが大人の人達の考えです。「打った方がいい」という人が、少し多いですね。
では、「打たなくていい」という人はその理由を教えてください。

ピッピ(大人):
さっき子ども達に確認した時に、ほとんどの子が「打ってもいい」という考えだったから、打たない子が多少いてもあまり影響ないかなと思いました。

ジイジ:
だけどね、「打たない」という人は、それはそれで認めても、社会的責任ということから考えたら、感染して人にうつさないよう、注意してもらう必要はあるよ。

ピッピ:
もう一つは、ワクチンについてまだわからないところがあるから。でも、大人に関しては、わからないから打った方がいいと思いました。

ジイジ:
では、「打った方がいい」と思う人の中で、代表して意見を言える人はいますか?

あや(大人):
私達は、こうやってみんなで一緒に暮らしていて、子ども達も外でいろんな人に会うでしょう?だから、できるだけ危険なことは避けた方がいいと思いました。

みの:
具体的に、どこがどう危険なの?

ジイジ:
危険というのは、一人がここへウィルスを持ってくると、ここはたくさんの人が暮らしているから、一気に広がってクラスターになるということです。濃厚接触者ということになれば、自分は陰性でも隔離されなければなりません。つまり、全員隔離が必要になるということです。

みんな:
不可能だね~~。

ゆりか:
ワクチンを打ったら、コロナにはかからなくなるの?

ジイジ:
ワクチンを打って感染しなくなる確率は、95%と言われています。だから、ワクチンを打っても20人に1人は感染する可能性があるということです。それから、感染しても重症化しにくいと言われていますが、感染すれば人にうつす可能性はあります。つまり、ワクチンを打てば絶対に大丈夫ということではないので、ワクチン接種を勧めている日本政府も、ワクチンを打てば何をしてもいいということではなく、引き続き注意して日常生活を送ってほしいと呼びかけています。それは、打つ人も打たない人も、誰であっても、社会的責任というものがあるということです。それは、「自分は健康だからいい」という話ではありません。ここまで感染が拡大した今は、みんなに社会的責任が問われているのです。
その上で、今日の結論をどうするか。多数決でいくと、子ども達はみんな打った方がいいということになりますが、その結論はつまらないでしょう?

ゆうとう:
つまらない!

ジイジ:
だから、みんな打って5年後に死ぬのはどう?(みんな:笑)
ではもう一度、大人と子ども全員に聞きます。打つか打たないかは本人の意志で決めればいいと思う人。

(37人が手を挙げる。)

では、子ども達も全員打った方がいいと思う人。

(35人が手を挙げる。)

では、本人の希望で、打ちたくない人は打たなくていいことにします。

(子ども数名が拍手をする。)

そんなふうに、喜ぶことではありませんよ。ここで次の問題があります。それは、打っても打たなくても、社会的責任は常にあるということです。
「自分だけ良ければいい」という話ではありません。そして、いい加減な情報を流してもいけません。
打つ人は、「なぜ打つのか」ということを自分の中でしっかりと考えて、その責任を果たすために打ってください。打たない人は、自分の意志で打たないのですから、その分毎日の生活をしっかりと気を付けて送る必要があります。打つ人もそうですが、打たない人は打つ人よりももっと気を付けて、自分から人にうつさないようにする。そして、人からももらわない。それを、責任を持ってやってください。そのことを、いつも考えていられるかどうか。
もしも誰か一人でもかかったら、ここでは全員が濃厚接触者になります。自分は陰性であったとしても、14日間は隔離しなければなりません。ここでは、個人の意志を尊重します。その個人の意志を託された人は、自分が全体のことを託されたのだということを、しっかり考えて行動しなければいけないということです。いい加減な行動はできないのです。それはワクチンを打たないからということではなく、周りの人に対する責任を果たすということです。そういったことを考えて行動するようにしてください。
ここではロータスランドも運営しており、いろいろなお客さんと出会います。大人達はその責任を考えて、打つことを決定しました。自分が他の人にうつす可能性がない立場にいる人、他の人と関わらない人ならば、「私は打たない」ということでもいいでしょう。個性的な生き方は尊重されて良いのですから。しかし、その個性が人に迷惑をかけたり、不安を与えるとしたら、社会人としての責任を取らなければいけません。

そこでもう一つ、みんなに話したいことがあります。
ジイジは、人の心というものをずっと観てきました。この間は、4人の子ども達を呼んで話をしました。この4人はなぜ呼ばれたかというと、日頃の言葉遣いが悪かったり、友達に乱暴な振る舞いをしたりしたからです。その中の1人は、ジイジが話をした後も、また悪い言葉を使ったので、今度は叱りました。
本人は、「悪い言葉を使おう」と努力しているわけではありません。本人に聞くと、「自然に出てくる」と言うのです。つまり、自然に悪い言葉が出たり、人が嫌がることをするような人になっているということです。みんなはこれをどう思いますか?

子ども達:
よくないと思う。

ジイジ:
よくないと言っても、他にもそういう人がいるでしょう?だからジイジは本人を呼んで、今からそういう状態でどうするのか、という話をしました。そこでは、あなたの心の状態はこういうことだよ、という話をします。前はこういう状態で、今はこうなってるよ、ということを話します。そして、さらに先へ行くとこうなるよ、という話をします。
よく、小学生のうちはまだ親の方が力関係が強いので抑えられていても、大きくなると親の方が怖がってしまって、伝えられなくなるという話があります。極端になると、子どもが親を脅したり、逆に「こんな子を世の中に生かしておけない」と親が子どもを殺してしまうようなこともあったでしょう?親から離れて好き勝手に振舞い、暴走族になったりする人もいます。それは、本人達もそれで良いとは思っていないのです。でもなぜかわからないけれど、そういった場所に心が合うので、そうなっていくのです。
ここでも、最近小さい子ども達が悪い言葉を使うことがあると聞きます。どうしてそうなったかわかりますか?それは、上の子達が使うからです。使っている本人にどうしてそういう言葉を使うのかと聞くと、「何でだかわからないけど、そういう風に言ってしまう」ということでした。そして何回注意しても、また同じことをやるのです。これは、深刻な話です。そうしてその人の人格、心がつくられていくのです。
そこでジイジは、本人の親を呼んで話をしました。子どもというのは、お父さんの遺伝子と、お母さんの遺伝子を受け継いで生まれてきます。ジイジはこれまでたくさんの人の相談に乗ってきましたが、話を聞いていると、その問題のルーツが観えてきます。それは、その問題の本人だけではなく、家ごと解決する必要があるケースがたくさんあることです。その時に大切なのは、本人が問題に気付いたなら、まずは自分から解決することです。

自分が問題を解決すると、今度は自分が子どもに遺伝子を受け渡す時に、子どもに悪いものが行かなくなります。そして自分自身も、問題を解決したのだから、良い人として生きることができます。さらにもう一つ。その問題点が、自分の親や、そのまた先祖からずーっとつながって自分に来ているとしたら、自分がその問題からしっかり学んで、優れた人になることは、昔の人たちが個性的な人生を生きて自分につないでくれたお陰で自分は気付くことができたのだ、ということにもなり、その問題のお陰で学ぶことができました、ありがとう、と、昔の人達の問題も、良いことに変わるのです。つまり、昔も、今も良いこととなり、そして未来の子ども達にも、良いものを与えることができるということです。
ここはポイントです。もしも今、その問題ごとから学ばずに、そのまま先へ進むと、「あそこの家の子だからね、やっぱりそうだね」ということになります。そしてその人が将来パートナーを見つけて子どもをもうけると、「やっぱりあの家の子どもは、親のようになったね」ということになります。
今、悪い言葉を使ったり乱暴をしている子ども達は、今はまだ子どものしたことのように思っているかもしれませんが、そのまま大きくなると、校内暴力になったり、警察沙汰になったり、誰かをいじめて相手が自殺するなどということが、世の中にはたくさんあります。そうしたら、一生償わなければいけません。自分だけでなく、相手の一生も取り返しのつかないことになり、自分の家族も「あそこの家の子は」と周囲から言われるようになります。ここの子は「あそこの家の子は」ではなく、「木の花の子は」という話になり、ここの全員にそれがかかってくるのです。
これは、さっきのワクチンの話と同じです。自分が打ちたくないということは認めます。しかし、自分の立場というものを考えたら、それを認めてもらった分、打つ人も日常生活には気を付けなければいけませんが、打たない人はなおさら、打つ人よりもさらに真剣に考えなければいけません。そして、人にうつさない。そういうことをしっかりやっていかなければいけない。それが、その人が生きていく上での責任ということです。

これは、最低限の話です。気に入らないから悪い言葉を使った、というようなことでは、だんだん済まされない話になっていくのです。今はまだ済まされているから、この話で終わっていますが、そういった姿勢を今のうちに正していかないと、将来済まされなくなっていくということです。心の持ち方がいい加減だと、思わぬことに出くわすことがあります。そのようなことを引き起こす心を持たないようにすることが、責任ある人の生き方です。それは本来、人として当然のことです。
ジイジも子どもの頃に、嘘をついたり、「大人には内緒だよ」「誰々には言っちゃダメだよ」という秘密を持っていました。よくあるでしょう?それは、隠しておきたいことがあるということです。でもね、隠しておきたいことが多ければ多いほど、今のような問題につながっていくことになります。こんなに大勢で暮らしていても、みんなが自分の中にあるものを正直に出して、これについてどう思う?と、常に正直に話し合える場所を創ったら、この場所に良い風が吹いて、「あそこは気持ちのいい場所だね」という所になるでしょう。しかしどうしてなのか、人は隠そうとするのです。ジイジはね、きちんとした毎日を送って、責任ある行動を取っていたら、子ども達がゲームをやるのもいいと思うんだよ。ところが、隠れてゲームをやろうとする子がいるでしょう?
隠れてやると、簡単に中毒になります。それは、隠しておくことは病的な心だからです。心が病気を創るのです。今の世の中には、心の病気を持つ人がたくさんいます。精神疾患を持つ人は、日本全体で400万人と言われています。そしてその10倍が、予備軍といって、精神疾患になる可能性があるというのです。そうすると、日本人の3人に1人が心の問題を持っていることになります。大変な数ですね。

それで、さっきの話に戻ります。インターネットには、いい加減な話が溢れています。そしてそのいい加減な話が、「そうなんだ」「そうだよね」と確かではないのに広がっていきます。それが誰から出てきたのかわからないのに「そういうことらしいよ」という話が「そうだよ」ということになって、真実になっていくのです。ジイジは、どんな人の話でも必ず「それはどこから聞いたんだ?確かなことか?」と確認します。それは疑っているのではなく、確かな話ならいいけれど、確かでなければ、自分から世の中を混乱させる元をつくっていることになります。人の迷惑を広げているのです。
そう考えたら、いい加減なことは言えません。そしてワクチンを打たないとしたら、いい加減な生活をしてはいけません。ワクチンを打ったとしても、効果は100%ではないのですから、やはりいい加減な生活をしてはいけないのです。それは、社会のためにも、自分のためにもそうするということです。そういったけじめのある意識を持つことが大切です。
今、この場所で子ども達の後ろにいる大人達は、そんな風に親から言われなかったでしょう?だからいい加減な人になるのです。その悪いクセを、大人になってから取るのは大変です。
子ども達は、今それを取るチャンスをもらっています。小さいうちにそれをやると、早く取れます。大きくなると面倒です。自分の理由を言うようになるからです。今は、そんなことをしてはダメだよと伝えれば、「そうだね」とすぐにわかりますが、大きくなると、自分の理由をたくさん並べるようになります。

心が、この世界を創っています。いい加減な心を持っていると、いい加減な人間関係、いい加減な世の中ができます。だから、その元の心がいい加減ではいけないのです。
今の世の中では、そのいい加減さが分析できなくなっています。そして大人が、いい加減なことをたくさん言いふらします。そして子ども同士でも、すぐに隠し事をする。「言わないでね」と隠し事にしていることが、問題となって独り歩きをするようになるのです。
そこのところをとことん自分に言い聞かせてやらないと、染みついてからでは本当に取れなくなります。そして今のような、混乱した世の中ができてしまうので、子ども達とこういった話をするべきだと思いました。今なら、子ども達はそれを広げる側から、やめさせる側になれるだろうと思うからです。
コロナウィルス対策についても、いい加減なことではいけません。責任ある行動を取りましょう。みんな、1人で生きているのではないのだから。

毎日の子どもミーティングで、ただその日の出来事を報告するだけでなく、自分はいけないと思うことをやりました、ということが言えるようになったら、この人は自らを正す道を歩み出した、ということです。それは、良い人生を生きることになります。そして、周りの人にとっても良いことをもたらす人になります。
自分発、良い場所ができるように。自分発で悪いことを起こすのではなく、自分発、良いことが起きるように。それを心がけてください。そうしたら、相手発、悪いことに対しても、「それはいけないよ」と言ってあげられる人になります。自分発、良いことをし、相手発、悪いことに対しても「それは良くないよ」と言ってあげられるようになったら、自分発、世の中を良くする人になります。それが大事です。
今は、そういうことを誰もしません。これからは、それがとても必要になる時代が来ます。これは大人も子どもも関係なく、世の中を創っている人はみんなそのように生きるということです。
ワクチンについても、大切なことですからよく考えて判断し、そして判断したことで自分の責任をきちんと果たしてください。