わたしたちは、「時代人」です。つまり、時間という共通した乗り物に乗って旅する旅人です。この時間という乗り物には地球も乗っています。この世界に存在するものはすべて、時間に乗って旅しています。そして物理的にも、地球は宇宙を旅しているのです。
なぜ、時間は進んでいくのでしょうか。それは、一秒、一分、一時間、一日、一年と人間が時間の基準をつくり、時間を認識しているからです。それは人間社会だけの話のようですが、実はこの世界はサイクルのもとに成り立っています。そのサイクルは、一秒、一分、一時間、一日、一年と人間が便宜上区切っただけではありません。一日は地球の一自転であり、一年は地球の一公転です。春・夏・秋・冬の四季のサイクルの中で植物は芽吹き、栄え、種を残し、しばらく冬眠した後、また春に芽吹いてきます。その繰り返しによって時間が刻まれていくのです。ですから、これは人間がつくったものではありません。そして、人間以外のそういった仕組みを認識しないものもすべて、そのサイクルの中にあるのです。
その大いなるサイクルの中で今、わたしたちは歴史的な転換期を迎えています。皆さんもそのような時代の移り変わりに気付き始めているからこそ、今、このメッセージに出会っているのでしょう。地球環境や世界情勢は今、混乱の極みを迎えています。しかし、時代は常に未来へ向かって進み続けていますから、この混乱もいずれ収まり、この延長線上に世界が進み続けていくことはないでしょう。それは、目先のことや自らの欲望におぼれず、ひとつの物語として時代を読み解いていくことができれば、今の延長にある流れがいずれ行き詰まることは明らかなことが観えてきます。その証として、今、世界中では人類史上稀に見る危機を迎え、わたしたちが自らの姿勢を転換する必要があることを時代が教えてくれています。
そこで、わたしたちはこれからの時代をどのように生きていくべきなのでしょうか。
「時代が生命であり、時代が意志を持って、時代を紡いでいる。」
21世紀は「時代主義」の始まりです。「時代主義」を生きる人々は、自らの願望に翻弄されることなく、世界を自由自在に生きることができる宇宙の旅人(時代人)です。
「時代主義」とは、これまでの共産主義や資本主義に代わる新たな時代の生き方です。共産主義は人間が考えた理想世界ですが、彼らの創っている社会のベースには自然の存在が組み込まれてはいませんでした。ですから、環境破壊と共に共産主義は栄えていったのです。そして、資本主義は人々の欲望を刺激し、競争や格差を生み続け、自然に矛盾をもたらしてきました。ですから、資本主義も共産主義と同じ道をたどっているのです。皮肉なことに、そのような社会に自然保護などという極めて傲慢な言葉が生まれています。ですから、資本主義もいずれ終焉を迎えることでしょう。そこで、共産主義や資本主義の次に現れるイデオロギーは、人間が主役なのではなく、時代が生命であり、時代が意志を持っているという考え方です。そこで初めて、わたしたち人類は時代と共にこの世界を創造していくというレベルにまで到達できるのです。
未来は、常に未知なるものです。時間は常に進んでいるのですから、時代を生きることは常に未知なる世界に向かって旅することです。進んでみた結果至ったところが答えであり、それが時代の意志であり、宇宙の意志です。もし、人類の未来の姿が人間自身に観えていたとしたら、それでは人間の思惑の上に時代は動いていくことになります。しかし、時代は人間の思惑を超えて紡がれていくものなのです。
人類の近年の歴史を振り返ってみると、それはこの世界と人間の営みが融和しない破壊の歴史でした。そしてそれを反省し、切り替えたところで、結局人間たちは人間のための社会をつくり続けてきただけでした。その姿は、人間に与えられた役割の延長にもうひとつ大きな枠組みの世界を完成させるという、宇宙の意志からはほど遠いものです。歴史的にも宇宙的にも、人間は自らの意志によってこの世界に生み出され、時を刻んでいるのではありません。わたしたち一人ひとりはそれぞれ生まれ死んでいきますが、わたしたちは人類、そして地球生命というひとつの生き物の構成員にしか過ぎないのです。地球や宇宙ですら、ひとつの生き物であり、そこで営まれる世界はすべて物語なのです。
主役は、時代の流れや宇宙の法則です。そこには意志があり、それが時代を通して何かを表現していくために、わたしたち人間が地上に降ろされたのです。その舞台に表現される物語を読み解く意志を持たなければ、わたしたちは時代の意向を受け取り、生きることはできません。人類の祖先であるホモサピエンスが地上に誕生したのは今から20万年前と言われています。そこからさらにさかのぼり、40億年前に地球に生命が登場してから、何百万種と言われる生命がこれまで地球上に存在してきました。その中で、「地球史上最強の生物」とされるティラノサウルスが地球上に闊歩していたのは、今から約7000万年前のことです。
そのように捉えると、恐竜時代も宇宙のプロジェクトだったのです。生命はどれほど大きく強くなれるのか――。元々全長3m・体重75kgの小さくひ弱な恐竜だったものが環境の変化と共に時代の意志を表現しながら、およそ1億年の進化の時を経て、全長13m・体重6トンのティラノサウルスとして地球史上最強の地位にまで登りつめました。しかしその結末は、この世界を征服したことによって生命バランスを崩し、他を絶滅させることによって、結局共食いするまでに至ったのです。地球史上最強の生命として頂点に立ったその先には、お互いを殺し合う姿がありました。その姿は、現代の人類と同じです。戦争や争いが絶えない世の中で、人間たちは今、まさに共食いしているようなものなのです。
地球上の生命進化の歴史を観ると、過去6億年の間に6回大量絶滅が起きています。前回の絶滅は恐竜が絶滅した約6500万年前に起きており、近い将来生命が絶滅する可能性があると言われています。この歴史的な統計からすると、わたしたちは今絶滅に向かっているとも言えるのです。絶滅はその都度いろいろな理由によって起きています。今から6500万年前、巨大な隕石が地球に落下することにより、恐竜の時代に予期せぬ幕切れが訪れました。その後の劇的な環境変化により恐竜は絶滅に追い込まれたのですが、地球に隕石が落下していなくても、ティラノサウルスは共食いによってやはり絶滅する運命にあったのかもしれません。そして、地球をひとつの生命と捉えるならば、人類は今、地球に対してまさしく癌細胞の様相を呈しています。つまり、地球生態系バランスからすれば、このような生き物は淘汰されるべき時を迎えているとも言えるのです。
絶滅していった恐竜と、今、絶滅の危機を迎えているわたしたち人類を比べると、人間には過去から未来までを見通せる能力が与えられています。さらに、世界の仕組みを理解し、世界を創造する側にも立つ能力が秘められています。ある意味、地球史上最も高い能力と大きな影響力を与えられたのが人間です。つまり、ティラノサウルスが「地球史上最強の生物」であるならば、わたしたち人類は「地球生命の最高傑作」なのです。ところが、その人間の優れた能力は諸刃の剣のようなものであり、この能力をエゴ的に使い続けていくと次の絶滅の原因にもなります。その優れた能力を有効に使えば、絶滅の危機を乗り越え、さらに進化した世界をもたらす可能性もあるのです。それは、ティラノサウルスの教訓を超えて、宇宙が人類に求めていることなのかもしれません。
今から1万年前、人間がまだ原始的な生活をしていた時代、その頃の人間たちにとって生きることはこの世界の仕組みそのものでした。栄えることも滅びることもすべて天気任せ、つまり天の気分次第だったのです。その時代には太陽の黒点活動や地球の地殻変動、時代の変遷といった地球生命進化の歴史の中で、人間は登場人物としてそこに現れていました。そこでは、自らの意志を表現するのではなく、植物や動物と同じように自然のままに生きていた人間の姿がありました。
ところが、ティラノサウルスが1億年という時をかけて地球史上最強の生物にまで進化していったように、そこから人間は地球史上最も優れた能力を持つ生き物にまで進化していったのです。つまり、自我の成立と共に進化したのが人間であり、人類には個々に希望が与えられ、それを自己実現するという奇跡のような能力と使命が与えられました。地球上に生きる生命の中で、自らの願いを持ちそれを叶える能力を与えられたのは、人間だけです。これまで人類は、自らから湧き出る願望を叶えることが生きる目的だと思い、それに翻弄されてきました。
しかし本来、生命は自らの願望を叶える立場にはいません。願望を叶えることは欲望を満たすことであり、その結果欲求の虜になっていくことになります。願望を叶えようとすればするほど、そしてその願望が叶えば叶うほど、人間の欲望は際限なく膨らみ、さらに自我が強くなっていった現代人は今、その矛盾を世界に振りまくと同時に混乱のピークを迎えているのです。
これは、もし人間というものにそのような可能性を能力として与えたら、どのような結末になるのかという大いなる宇宙実験でもあるのです。さらに、その優れた能力を持つことにより、人間たちが自らやこの世界にもたらした矛盾をどのように克服し、その危機をどのように乗り越えていくのかという大いなる挑戦でもあるのです。
今、2000年の扉が開き、2000年から3000年までの1000年紀の幕が開けました。それは、2000年までの人間の可能性を観てきた時代から、その可能性を観た人間が「一体自分たちはこの世界にとって何者なのか」を知り、その目的の真実を生きる時代に入ったということです。
なぜ宇宙は存在するのか。なぜ地球は存在するのか。なぜ生命は存在するのか。なぜ人類は存在するのか。そして、なぜあなたは存在するのか。
これからは地球自体、人類自体が目覚める時代です。人類が皆、この宇宙船地球号に乗っている意味を理解し、宇宙に創られたオアシスであり、奇跡の理想郷・地球に時代の意志を表現していく時代の始まりです。
時代は生きています。時代は意志を持っています。わたしたち人類はその時代の変化を感知し、時代に寄り添っていく立場にあるのであって、時代を創ろうとする必要はないのです。
そのように考えていくならば、この世界は一体です。すべてのものが時代と共に一体となって動いています。それが宇宙の実相です。そのような意識レベルを有した者が地球上に現れたならば、その響きがこの世界に放たれ、それに共鳴した者たちの行動が少しずつこの世界を変えていきます。そしてさらにそれに共鳴した者が行動することによって、その響きがこの世界に放たれていく――、その連鎖が時代を動かしていきます。その響きがこの世界の混乱を鎮め、人類の営みによって傷つけられてきた地球を包み込み、地球を本来の美しい星へといざなっていくのです。
一人ひとりの目覚めがウエーブとなって連鎖し、地球上を巡っていきます。そこには、音もなく、力もいりません。それは、時が刻まれていくときに、時の音がわたしたちの耳には聞こえないのと同じです。地球が自転し公転するときに、その音が聞こえないのと同じことなのです。ですから、時代が動くときに、その音はわたしたちには聞こえないのです。耳をすませてその音を感じてみてください。そのような人類の目覚めの動きが今、地球上に始まっているのです。
今こそ、わたしたちは自らを自我の枠から解き放ち、この無限なる宇宙の中で自由自在に生きる時が来たのです。わたしたちの中から願望や野心が消えた時、宇宙の真理が湧いてくるようになります。そして、人類が誕生した目的にのっとった最もふさわしいポジションにわたしたちは立てるのです。そういった真理に目覚め悟った者は、時代を読み、流れを感じ、今を生きる「時代人」となるのです。
それが、21世紀初頭にあたり、時代がわたしたち人類に伝えているメッセージです。
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